世界観警察

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「きなこあげパン」が敗北した日 - 特別お題記事

 それは絶対王者「きなこあげパン」が敗北した、歴史的な日だった。

 

 我が母校、U小学校は、しがない下町の公立小学校だが、自校調理方式で給食を提供する学び舎であった。校舎の一階に大規模な厨房と食堂を擁し、近隣地域の中では給食が美味しいことで有名でもあった。

 

 そんなU小学校で、年に一回開催される催しがあった。「人気献立総選挙」である。

これは全校生徒が一人一票持ち、好きなメニューに投票するという代物で、一位に選ばれたメニューはその後一年、献立への登場回数が増えるのであった。

 

 しかしながら、年に一回開催されるこの総選挙は、あまり盛り上がりを見せることはなかった。

何故なら、総選挙が始まって以来、不動の絶対王者が存在したからだ。そう、「きなこあげパン」である。

 

 外側はカリッと堅いのに、噛み締めると口中にじゅわりと油が溶け出す大きなパン、まぶされたほのかに甘い魔法の粉は、児童の心を完全に掴んだ。

「きなこあげパン」は、示し合わせたわけでもないのに、決して首位を譲ろうとはせず、長期独裁政権を樹立していた。

ちなみに、大抵の場合、二位は「みそラーメン」で、三位は「ぱりぱりサラダ」であった。奴らは「きなこあげパン」の寵臣として、政権の安定化に貢献していた。

 

 他方、我が校にはとある名物料理が存在した。

それが献立表に掲載された日、子供達は当惑し、絶望し、腹を空かせながら、己の茶碗の中身を巨大な灰色の飯缶に戻し入れた。飯缶には、半分以上が戻された。その無残に散らされた様子は、フードロス反対過激派が見れば発狂したことだろう。

悪名高きその御名こそ、「キムチチャーハン」である。

 

 キムチもチャーハンも、本来は人気を博し得る食物である。

しかし、我が校の「キムチチャーハン」は、常軌を逸していた。理由は簡単だった。辛い辛すぎるのである。私が中華料理店の店長であれば、あの激物には唐辛子マークを3つ付けて客の注意を喚起しただろう。

我々生徒は、度々教師達に「我が校のそれは辛すぎる」と申し立てたが、一向に改善される余地はなかった。なんならどんどん辛くなっていくようにさえ思えた。

舌の肥えた教師達には、小学生の未熟な味覚を理解できないようだ。「そんなに辛いかな?」、彼らはそう言って、その深紅の米粒が高く盛られた匙を口に運んだ。

 

 少なくとも、我が "4ねん3くみ" では、「キムチチャーハン辛すぎ問題」は大々的に取り沙汰された。事ある毎に、我々は抗議活動を行った。

闘争の結果、余りにも食べられない人が多かった為、「キムチチャーハン」の日は、おにぎりを持参することが許可された。おにぎり持参者は、その凶悪な名が胃を脅かす度に増えていった。

しかし、異常ではないか。アレルギーでもないのに、普通の給食の日に、弁当持参とは。親御さんにとっても、迷惑だったはずだ。

 

 「おにぎりを持参する」ということで一時的な合意が図られ、闘争にも一段落が付いた頃、その投票用紙は配られた。件の「人気献立総選挙」である。

 

 "4ねん3くみ" の悪ガキ革命家たちは再び立ち上がった。今こそ、「キムチチャーハン辛すぎ問題」を全校的に取り上げるまたとない機会である。

ついでに、常に結果が同じで、全く選挙の意味をなしていなかった独裁政権を打ち倒すことも忘れていなかった。我々は「きなこあげパン」に恨みは無い。寧ろ好きなくらいである。

しかし、長期政権は腐敗するという、歴史が示した事実を忘れてはいなかった。いつかの王朝の名のように、砂糖に固められたそれは、今や退位すべきなのだ。どんな手段を使ってでも。

三部会ならぬ "3くみ" の面々は、テニスコートならぬ校庭に集まって誓いを立て、調理室に向かって行進を開始した。新しい時代が幕を開けようとしていた。

 

 "4ねん3くみ" 革命結社は、選挙活動を開始した。"1くみ" では「きなこあげパン」不要論を説き、 "2くみ" の連中は「れいとうミカン」で買収した。"4くみ" では「『キムチチャーハン』か、無効票かだ」と迫った。

倶楽部活動では、他学年への干渉も積極的に行った。手芸部の副部長であった私は、先輩後輩構わず声を掛けた。

 

 真剣な我々の活動に、共感してくれる人、面白がって賛同する人……、革命組織はどんどん拡張していった。

無理解な担任は、半ば呆れながら、再び深紅の米粒を口に運んだ。

 

 そして運命の日はやってきた。開票である。

我々は祈った。保食神(うけもちのかみ)よ、稲荷神(いなりのかみ)よ、我々に力を貸し与えて下さい。

 

 結果に、我々は目を疑った。大差だった……。我々 "4ねん3くみ" 革命結社と、「キムチチャーハン」は勝利したのである。

総選挙始まって以来の独裁政権は崩壊した。首を切られた「みそラーメン」は、脂ぎった涙を流した。

王者「きなこあげパン」は、ふんわりとした膝を屈し、玉座に黄色い鱗粉を撒き散らしながら、堂々と退席した。赤き悪魔に、貴いその座を譲り渡したのである。それでも彼(?)は、些かくすんだ銀の賞牌を手にすることを忘れてはいなかった。

 

 圧勝した我々は、口々にその病的なまでに赤い糧の名を連呼し、凱歌を挙げた。

しかし、我々が勝利の唐辛子に陶酔できる時間は僅かであった。

開票に際し、調理室からのマニフェストが公布されたのだ。

 

 『今までずっと圏外だった「キムチチャーハン」が、いきなり首位に躍り出たことにびっくりしています。そんなに「キムチチャーハン」が人気メニューだったとは知りませんでした。投票を開催してよかったと思っています。今後も、力を込めて「キムチチャーハン」を作っていくので、美味しく食べて下さいね』。

 

 我々は煉獄に突き落とされた。我々 "4ねん3くみ" 革命結社の真意は伝わらなかったのである。彼ら自身が圏外からのし上がったことを認めているではないか。何か意図があるとは思わないものか。その炎のような深紅の衣を纏った娘は善良な灰被りなどではない。彼女の実母は魔女なのだ。

 

 我々は調理室との交渉の食卓を取り上げられたまま、その無慈悲な決定に従う他なかった。

革命児「キムチチャーハン」は、横暴に炎の鞭を振るい、我々の舌に火傷を負わせた。飯缶に残る米粒は増えて行き、最早茶碗にすら盛られなくなった。

担任は暢気に匙を口に運んだ。

 

 翌年、"4ねん3くみ" もクラス替えが行われて、我々革命結社は離散した。私は "5年1組" での潜伏を余儀なくされた。

その年の「人気献立総選挙」では、愛しき「きなこあげパン」が息を吹き返し、玉座から唐辛子の化身を追い出した。我々は、涙ながらに、彼(?)に今度はマリアンヌの仮面を被せたのである。

 

 狂乱の時代は幕を閉じ、献立表には秩序が戻った。「みそラーメン」は伸びきった麺を振り乱して喜んだ。「きなこあげパン」万歳!……。

 

 我々の闘争の爪痕は、「総選挙」の結果に残っている。その年だけは、信じられないことに、「きなこあげパン」を玉座から引き摺り下ろしたのだ。その顛末が、どのようなものであっても。そんなことは、後にも先にも一度しかないだろう。

その唐辛子の山は、我々を嘲笑うかのように月に一度の頻度で登場した。

 

 我々がU小学校を卒業してから、既に10年が経つ。今でも尚、あの赤き悪魔、「キムチチャーハン」が児童の舌と胃を脅かしているのか、私は知らない。

 

おしまい。

 

最後に

 通読お疲れ様で御座いました。

こちらは特別お題の記事になります。普段は参加しないのですが、興が乗ったので書いてみました。

Oisix特別お題キャンペーン「好きだった給食メニュー」

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by Oisix(オイシックス)

 

 面白おかしく、小説風に書いてみましたが、これは実際にわたくしが小学生の頃に起こったノンフィクションです。勿論、多少脚色は入れていますが。フランス革命に準えてみたり。

 

 ポケモンの「コイルショック」をご存じの方も多いかと思いますが、当時の "4ねん3くみ" にとって、この年の総選挙は正にそういう扱いでした。実際に、選挙活動はお祭り騒ぎで、結構楽しかったことを覚えています。その後の献立には地獄を見ましたが……。

↑ ご存じない方は、この辺りで概要を把握できます。

一人一票制で、集計にも(恐らく)不正がなかった我が校の選挙の方が健全な気もします。

 

 母校のキムチチャーハンは本当に異常でした。辛さが軽減され、後輩たちが美味しく食べられていることを祈るばかりです。

 

 それでは、今回はお開きとします。少しでも口角を上げるお手伝いができていれば幸いです。