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オネーギン、ウクライナへ行く - 文学・オペラ雑記

 こんにちは、茅野です。

ウクライナ情勢のニュースを戦々恐々としながら見守りつつ、週末のシュトゥットガルト・バレエ団の来日公演を心待ちにする日々です。

ロシア国営のテレビチャンネルが日本からも BAN されたり、ロシアの劇場のアカウントを SNS から消すよう指示されていたりと、一ロシア芸術ファンにも直接的な影響が見えるようになって参りました。一刻も早い停戦を願う次第です。

 

 侵攻から三週間、漸く冷静に物事を見つめられるようになってきた気が致します(そうであると信じたい)。いや、全てが夢であったなら、それがいちばん良いのですが……。

 此度の侵攻に伴い、ロシアの作品やロシア国籍のアーティストがボイコットされたり、キャンセルされる事態が多発しています。指揮者ソヒエフ氏の声明には、恐ろしい一文も挿入されていました。

It is already happening in Poland, European country, where Russian music is forbidden.

ヨーロッパの一国であるポーランドでは、すでにロシア音楽が禁止されています。

トゥガン・ソヒエフからのメッセージ – Message from Tugan Sokhiev

 主権国家への侵攻は断じて許されるものではなく、最も強い言葉を以て非難されるべきです。しかし、選挙も形式のみと化している独裁者の国にあり、ただその地域に生まれついた人、国籍を持つ人に罪はなく、彼らの生み出す芸術もそれは然りです。ウクライナ市民のみならず、無辜のロシア市民と文化芸術も守る義務があると考えます。物事は善悪二元論では説明できず、ロシア人とロシア芸術全てが絶対悪というわけではないのです。

 

 ご承知の通り、わたくしはプーシキンの韻文小説 / チャイコフスキーのオペラ / クランコ振付のバレエである作品『エヴゲーニー・オネーギン』を中心に、帝政ロシア文化芸術の愛好家です。自分の持ち得る視点から一考を加えてゆきたいと思います。従って今回は、原作・オペラ『オネーギン』とウクライナの関わりを考えます

 

 それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します!

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今後の読み替え演出を考える

 先にオペラの方から考えてゆきます。

今回の事象に関連し、「ロシアの音楽は上演すべきでない、プログラム変更すべきだ」「いや、チャイコフスキーの先祖はウクライナ系だ」「血縁に関わらずプログラム変更は許されない」など、多数の意見が出ています。

個人的には、『1812』など、あまりにも場違いな作品を除いては上演すべきであると考えています。SNS を見ていると、「今最も上演に相応しいチャイコフスキーの作品は『オネーギン』(特にレンスキーのアリア)ではないのか」という声も複数確認しました。

 

 オペラ演出では、「読み替え演出」と言って、リブレットで設定された時代や設定を変更するものがあります。その中で、今回の情勢に鑑み、テアトル・レアルでの『神々の黄昏』上演に於いて、「ジークフリートの遺骸をウクライナ国旗で包む」という演出が採用され、話題になりました。

↑ 詳細はこちらの記事。

 

 であるならば、『オネーギン』に於いても、今後、此度のウクライナ侵攻に紐付けた読み替え演出が為されるでしょうか。『オネーギン』はロシア語歌唱のオペラであり、且つ決闘での殺人の描写もあるため、余りにも生々しく、暫くは無いだろうと思いますが、長い目で見れば、一つくらいは出て来るのではないかという気が致します。

 

 ご承知の通り、『オネーギン』はロシアの「詩聖」プーシキンの代表作であり、チャイコフスキーの手になる「叙情的情景」も、最も上演数が多いロシアオペラの一つ。その主人公エヴゲーニー・オネーギンは、1820年代のロシア青年貴族の普遍的な像です。

 彼は、第6章(第2幕)の決闘で、親友ヴラジーミル・レンスキーを殺めますが、彼に殺意はなかったと解釈するのが一般的です。故意ではなかったにせよ、その後は良心の呵責に悩み続けます。

 ロシア文学は、この『オネーギン』や、ドストエフスキーの『罪と罰』を筆頭に、「加害者の苦悩」を描いた傑作が多くあります。オネーギンのように過失にせよ、ラスコーリニコフのように故意にせよ、作中の彼らは過去の行いを悔い、悩み、葛藤します。理不尽な被害に遭う被害者側の物語の方が受け入れられ易い傾向がある中で、「やらかした!」と加害(失敗した主体)側で絶望した際に寄り添ってくれるのがロシア文学であると感じています。

 しかし同時にそれは、今回の侵攻のようにロシアが加害側となった時に、酷く恣意的な読まれ方をする可能性を秘めている、ということに他なりません。「ほら、結局ロシアは侵略者側なんじゃないか」と糾弾される時、即座に的確な論駁が可能でしょうか。

 これらの文学は、寧ろ、どうして加害するに至ったのかを読み解く鍵の一つになるのではないかと考えます。たとえば、オネーギンが決闘を行うに至ったのは、当時の風習に雁字搦めになっているが故です。そうした視点に立つとき、悪はオネーギン個人だけではなく、そのような風習を作り上げた社会にも求められるはずです。そしてその社会を考える時、当時は専制君主の保守的な体制にあり……と、繋がってゆきます。

小坂井敏晶先生の書籍などに詳しいですが、あらゆる責任が個人の肩にのみのし掛かるケースは少なく、多角的な分析が求められます。善悪二元論からの脱却の為にも、様々な視点から考えることは必要不可欠となるでしょう。

↑ 超良書なので読みましょう。

 此度の侵攻では、ロシア市民の中でも逮捕・弾圧を恐れず声を上げる人も多かったり、徴兵された兵でも、戦闘を拒否する人が出てきたりしているようです。一方、家族や立場があったり、督戦されていたりと、そのような行動を取ることが難しく、「望まぬ加害者」になっているケースも多いと推測されます。文学が、プロパガンダに利用されるのではなく、第三者である我々が彼らの心境を理解したり、当事者になってしまった人々が心を癒やすのに用いられれば良いと願います。

 

 『オネーギン』が今回の侵攻と関連づけられて読み替えられるとき、国名を主語にするのは大きすぎると感じるのですが、それでもやはりオネーギン=ロシア、レンスキー=ウクライナで読まれることになるのだろうと思います。その際、表面的な読解だけが横行しないとよいな……と、つい考えてしまいました。

 

ウクライナのレンスキー

 さて、危惧ばかりを語ってしまいましたが、折角ですので、美しいアリアでも聴きましょう。今回は「ウクライナ出身のレンスキー歌い」特集です。是非とも音量を上げてお楽しみ下さい。

 

アントン・グリゴリエ

 トップバッターは、キエフ出身、キエフ音楽院卒のテノール、アントン・グリゴリエフ氏。有名なオペラ映画版でレンスキー役を歌っているので、聴いたことがある方も多いはずです。尚、オペラ映画版は演技は俳優さんが行っているため、音声のみになります。

↑ レンスキーのアリアに開始位置を合わせてあります。

 

イワン・コズロフスキー

 次にご紹介するのはキエフ近郷出身のイワン・コズロフスキー氏。

大変歌詞が聴き取りやすいことと、高めの声が特徴的です。スターリンのお気に入りの歌手でもあったとか。ご紹介するレンスキーのアリアは、なかなか他では聴けないような緩急の激しさがあります。

↑ 伝統の切り株スタイル。

 

アナトリー・ソロヴィアネンコ

 お次はドネツク出身でキエフ音楽院卒のアナトリー・ソロヴィアネンコ氏。

大変力強い歌声で、よく響きます。情熱的で意志が強そうなレンスキーですね。

↑ 音質は難ありですが、是非一聴ください。

 

ヴャチェスラフ・ポロゾフ

 そして、マリウポリ出身でドネツク音楽院卒のヴャチェスラフ・ポロゾフ氏。

ヴィブラートが少し細かいのが特徴で、高音の伸びが美しいです。

↑ 隠し撮り感エグいのですが()、一応ご紹介。

 

ミーシャ・ライツィン

 テプリク出身でモスクワ音楽院卒のミーシャ・ライツィン氏です。

声量はありながらも繊細な印象も受ける、レンスキー像によく合った歌声です。

↑ ピアノ伴奏です。

 

ボグダン・ヴォルコフ

 最後に、トレーズ(ドネツク)出身のボグダン・ヴォルコフ氏。

若手で、現代のテノールです。ライブビューイングや Blu-ray 化される上演でもよく起用されているので、お好きだという方も多いかもしれませんね。低音にも強い声です。

↑ 前半1/3くらい前奏です。

 

 今まで出身まではあまり確認していなかったので、勉強になりました。皆様はどなたのレンスキーがお好みですか? 是非とも教えて下さいね。

また、「もっとこんな人もいるよ!」という情報をお持ちでしたら是非ともお寄せ下さい。

 

オネーギン、ウクライナへ行く

 ここからは原作のお話です。

実は、作中でもオネーギンは現ウクライナ(当時はロシア帝国領内)へ赴いているって、ご存じでしたか? 断章『オネーギンの旅』は、親友を殺め傷心したオネーギンが、正にウクライナへと旅立つ物語です。

 『オネーギンの旅』の邦訳はかなり入手困難であるため、ロシア語が全くわからない頃に、英語から重訳したことがあります。このような経緯のため、内容に不備があるかもしれませんが、良ければ参考にしてください。そろそろ原文を精読してみたい。がんばります。

↑ 一応こちらから読めます。池田健太郎先生の訳で育ったことが丸バレの文体になりました。

 

 今回は、この『オネーギンの旅』で彼がどの街に赴いたのかを簡単に纏めてみました。具体的にどの道を通ったのかの検証が済んでいないので、雑にはなりますが、一応地図で照らし合わせると以下のようになります。

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ロシア帝国、広すぎてビビります。

 編集していて気付きましたが、描写されていないだけで、通過した道によってはキエフなども通っているかもしれないですね。また、別記事で取り上げていますが、もしかしたらこの旅の間にウクライナのデカブリスト、南方結社と接触があったのではないか、とも考えています。

 

 『オネーギンの旅』では、オデッサの描写が多く見られますが、特に春、「雪解けの季節は泥で道が埋まってしまって大変だ」という話が出てきます。丁度同じ雪解けの時期、約200年前、プーシキンとオネーギンが旅した土地に思いを馳せてしまいますね。

 

最後に

 通読ありがとうございました。4500字強です。

現在進行形で行われている難しい問題に関してなので、少々書くのに手間取りました。

 

 さて、我らが新国立劇場さんは来シーズンのラインナップを発表。なんと、ムソルグスキー作曲『ボリス・ゴドゥノフ』が入っておりました!

ロシア作品のキャンセルも相次ぐ中で、この決定は大変喜ばしいものです。是非とも、コロナなどにも負けず、全公演無事に終演して欲しいと願います。支援の意味も込めて少し通おうかなとも考えています。皆様も是非とも行きましょう。

 

 ロシアオペラを推してきた身としては、心苦しい状況になって参りましたが、不当なロシア文化キャンセルとも戦ってゆかねばならぬと思っております。侵攻を非難することと、ロシア文化を愛好し、守ることはまた全く別問題です。その認知が広がればよいと願いつつ……。

 

 それでは、今回はお開きとしたいと思います。また別記事でお目に掛かれれば幸いです。