こんばんは、茅野です。連日生でオネーギンが見れるってどういう状況ですか。すんごい。それしか言えません。すんごい。
しかし人間とは不思議なもので、明日が最終日だと思うと「うそだ~!もっともっと!」とか思っちゃうんですよね。欲張りだ……。世界一終わって欲しくない週末を過ごしています。
さて、二日目のオネーギン、目に焼き付けて参りましたので所感を綴らせて頂こうとおもいます。
昨日のオネーギンの感想はこちらから。↓
コール・ドやオーケストラは同じなので、基本的には割愛する方向性で進めます。そちらが気になる方も一日目の記事をどうぞ。
キャスト
エヴゲーニー・オネーギン:ジェイソン・レイリー
タチヤーナ・ラーリナ:ディアナ・ヴィシニョーワ
ヴラジーミル・レンスキー:マルティ・フェルナンデス・パイシャ
オリガ・ラーリナ:アンナ・オサチェンコ
グレーミン公爵:ロマン・ノヴィツキー
ラーリナ夫人:メリンダ・ウィサム
フィリピエヴナ:ソニア・サンティアゴ
指揮:ジェームズ・タグル
開演前に
席はB席二階Rです。B席、侮るなかれ。このサイドRL席は知る人ぞ知る最強コスパ席なのである。めちゃくちゃ近く、とても見易いです。実際、凄く良い席でした! 一幕一場でタチヤーナが上手奥のベンチで本を読んでいるところのみ死角となり見えませんでしたが、それを除けば最高です。
……とか言ってると、この周辺も席がなくなりそうですね。
第一幕
第一場
コール・ドなどは昨日と同じなので、第一幕から受けた主要キャラクター四人の印象から述べたいとおもいます。
噂には聞いておりました、ディアナ・ヴィシニョーワ氏のタチヤーナ。わたしは、これはひとつのタチヤーナの正解例だとおもいました。ほんとうに。
当方は原作も大好きで読み込んでいるのですが、ほんとうに原作の世界から抜け出てきたのではないか、というほど原作通りのタチヤーナだなという風に感じました。原作の描写を精確に理解していることがよくわかるんです、観ていて。流石本場ペテルブルグの方だなぁと感嘆してしまいました。オネーギンが義務教育で必修の本国人、やはりつよい。
記事を書くに辺り、いつも幕間にメモを取っているのですが、今回は「ターニャやばいな」「解釈一致過ぎる」しか書いていなくて、全く参考になりません、どうしてくれようか、観劇中の自分よ。
レイリー氏のオネーギンはとてもジェントルマン。帝政ロシアの青年貴族という感じこそあまりしませんでしたが、血の通った人間という役作りでしたね。第一幕の時点では、この人物が乙女の手紙を破るなどと想像だに出来ないようなオネーギンでした。
オサチェンコ氏のオリガは「天真爛漫でコケティッシュなお転婆娘」ではなく、お姫さんかお嬢さん、といった雰囲気。優雅で非常に美しいのですが、”オリガ・ラーリナ”という感じはあまりしなかったかなぁという印象です。それと、音楽に対して少し走りがちなの気になりましたが、生オケですから、指揮者が合わせてもよかったのかもしれません。
パイシャ氏のレンスキーは詩人というより陽気さが目立ちました。レンスキーって、オペラでもそうなのですが、「柔らかい魂を持った詩人」として、中性的な役作りをする方が多いのですが、このレンスキーは違います。自分の中に芯を持っていて、ブレない。自分が正しい。男レンスキーでした。このようなレンスキーを観るのは初めてだったので、斬新で、且つとってもよかったと思います!
オネーギンとタチヤーナのアダージオ。
オネーギンのヴァリエーション前のオクサーナのアリアの方なのですが、オネーギンがアラベスクした後腕を開いて、タチヤーナが駆け寄ってリフトする振りがあるじゃないですか。めっちゃ細かいんですけど、わたしあそこで肩幅程度にしか腕を開かないオネーギンめちゃくちゃ好きなんですよね。そして高さも自身の腰くらい低いととっても良い。好みの問題なんですけど……。その方が優雅だし、余裕みたいなものを感じるんですよね。それに、オネーギンというキャラクターの性格を考えたときに、あたかも世界を受け入れるような、開けっ広げさというのは似合わないんじゃないかと思うんです。今日はそれでした……嬉しい。体格差もあって年上の洗練された青年というより保護者みたいにも見えなくもありませんでしたが……。
そしてノクターン展開部、オネーギンがタチヤーナと腕を組むと、タチヤーナは躊躇うように1歩下がるのが、それが可愛くて可愛くて……!!! 未だかつてここまで自分に自信がなさそうでか弱そうで護ってあげたくなるようなターニャがあったろうか? わたしはあの瞬間フィリピエヴナになりたかった。(?)
あとは、グランジュテ横断の際、後方のペアが中幕に引っかかっていて少しヒヤッとしました……。R席だったのでよく見えて。でも、それくらいでしょうか。ほんとうにレベル高いです。
第二場
手紙の場。
ここのタチヤーナの演技も素晴らしいんですよ……!! 昨日、アマトリアン氏のタチヤーナが「(よいか悪いかは別として)現代的で、帝政ロシアの令嬢ではない」と書いたのですが、ヴィシニョーワ氏のタチヤーナは完全に帝政ロシアの空想家の令嬢、タチヤーナ・ラーリナでした。
インクをつける時はまだ躊躇いがちに、しかしいざ書くときになると覚悟を決めたようにゆっくり丁寧に筆を走らせる。内容が気に入らず一度ぐしゃぐしゃに紙を丸めて捨てた後、もう一度ほんとうに書くべきか否か迷う。それでも筆を取る。「これがタチヤーナだ」というかんじじゃないですか!? わたしはそう感じました。
鏡のPDD。
リフトが何度か危なっかしく、怖かったです……。二人ともよいのですが、あまり息が合っていないように感じて、ペアの相性がそんなに良くないのかなぁとか、気を揉んでしまいました。
タチヤーナはポーズを決めるまえかなり”ためる”のが非常によかったです。とってもワガノワっぽい。背中の使い方も柔らかい……
夢から覚めたのち、手紙にキスしてから封をするタチヤーナ。語彙力がゼロになりました。あぁ、尊い…………。
そして最後の表情!! もう、あなたがタチヤーナでいいです、って思いました。ほんとうに。
タチヤーナが100点満点中300点って感じだったので鏡のPDDでもう泣いてました(はやい)。
第二幕
第一場
ほんとうに体感5秒でした。終わるのがはやすぎる。
タチヤーナが自信なさげに終始ドレスの裾をぎゅっと握りしめてるのがもうほんとうに…………(語彙のないブログ書き)。昨日のアマトリアン氏とは大分毛色が違います。見比べるのたのしい!
オネーギンは第二幕から一気に生意気な感じになりましたね。盛大に欠伸をしたり、テーブルクロスを神経質に気にしたり。第一幕ではすごくジェントルマンな感じだったので、結構ギャップがあるように見えました。主観です。
二人が少しだけ社交ダンスをする場面では、そっと淡雪のようにオネーギンの肩の上に置かれた手を、その後ゆっくり自分の胸に当てるのがもう、もう乙女じゃないですか。愛らしすぎる。
手紙を破られるシーン。
手紙突き返されるところで「そうよ!私が書いたのよ!」ではなくて「やっぱり手紙なんて出さなきゃよかったんだ……」ってなっているヴィシニョーワ氏のタチヤーナ! これですよ。原作では、手紙を出した後はじめてオネーギンと会う際、彼を一方的にちらりと見ただけで、
タチヤーナは、一瞬やけどでもしたかのように立ちすくんだ。
わけです。オペラ版でも、
ああ、なぜ、 この病んだ心の嘆きに耳を貸して 自分自身を抑えきれずに 私はあの方に手紙を書いてしまったのでしょう!
そう、私の心は今告げているわ、私をあざ笑っているぞと 私の宿命的な誘惑者は!
ああ、神さま!何と私は不幸なのでしょう
何と私は哀れなのでしょう!
と歌います。彼女のタチヤーナは、これなんですよね。表情と所作にこの原作やオペラのターニャが見えるんですよね……。原作を第一とするなら、このタチヤーナこそが正解といえるでしょう。
手紙を破られると放心状態みたいになるのもとっても、わたしの思い描くターニャ像で……。
タチヤーナのヴァリエーション。
ヴァリエーションのときのアラベスクが非常に美しいです。ぴたっ、と止まる。技量も申し分なく、とっても安定していました。
カドリール。
お構いなしにオネーギンと踊るオリガ。オリガはやはりちょっとお上品さがまだある印象でした。ここも微妙にダンサーによって演技が違うのですが、憤慨するレンスキーに一度話を聞いてからオリガに声をかけるタチヤーナでした。常識的な姉らしい。それにしてもタチヤーナ、終始儚げでふわふわしててもう抱きしめたい。ターニャ…………(語彙がry)
また細かいことを言いますが、オリガを奪ったオネーギンがポールドブラで客達にオリガを見せつけていたのがすっごくよかったです。それに対して面白がったり、驚いたり、軽蔑したり、客の反応も様々。クランコ版のオネーギンは演劇的な作品ですから、そういう細かいところを見比べるのが楽しいんですよね……。
第二場
レンスキーのヴァリエーション。
ここでのパイシャ氏のレンスキーが胸に抱くは、後悔でも諦念でもありません。ニュータイプのレンスキーです。自分の選択に後悔のない、芯の通った真っ直ぐな男性でした。自分は間違っていないし、そうなのであればこの運命も間違っていない。もしなにかが違うのだとしたらそれは世界であって、少なくとも自分じゃない。良い解釈ですね。
踊りのほうも、ピルエットがたいへん綺麗で! 安定感抜群です。背中もブレず板のようで、そういうところからも真っ直ぐな印象を与えるのかなと思いました。
弾いている方は昨日と同じだと思うのですが、感傷的なヴァイオリンの旋律は、昨日の方が好みでした。
昨日、レンスキーを殺めたあとのオネーギンを見つめるタチヤーナについての私見を述べさせて頂いたのですが、早速見ることができたようです。
複雑で、それでいてひたすら高貴。それです。それそれ……。それしか言えない……。
第三幕
第一場
グレーミン公爵とタチヤーナのPDD。
どこか遠くを見つめるような目が非常に官能的なタチヤーナでした。”夜会の女王”という感じはないかもしれないですが、不安定な少女ではなく、女性として安定していた印象を受けました。
オネーギンを紹介されたあと、すぐに走り去って行ってしまうのですが、それでも一度大きく振り返る。このときの彼女の心境とは……。
幕間の部隊転換&演技パート。レンスキーが撃たれるまえに倒れちゃって、そこだけ気になりましたw そこだけです。
第二場
オネーギンの手紙を読むタチヤーナ。
鏡を覗いたグレーミン公爵に、びくっと大きく肩を震わせるも、その顔を見て安堵の息が漏れるタチヤーナ。
彼が去った後、再び手紙に目を戻し、机に伏す。机に伏すタチヤーナは初めて見たのですが、またエモーショナルでいいですね……。
先程の第一場とは打って変わって、昔のターニャに戻ったことがよくわかる不安定な視線、所作! 演じ分けが非常に上手いです。今まで見た中で圧倒的に一番よい……。
フィナーレ、手紙のPDD。
オネーギンが少しでも乱暴にすると嫌がるタチヤーナ。それでもサビを超えると、向こうからの手を振り払って自分からしがみつきにいきます。
下手前で、オネーギンが首筋に二度キスしたあとタチヤーナがオネーギンの胸の中に飛び込むところでもう限界超えました。泣いた。はあ、マジか……としか言えません。胸いっぱいです。マジか……。(ほんとうに語彙がない)(ことばを失うほどの素晴らしさと読みます)
二人の踊りの風圧で手紙テーブルから落ちてしまって一瞬ヒヤっとしましたが大丈夫でした。セーフ。
PDD後、最後の最後。
ここも演技が割れる点です!
我を失ったように、何か(オネーギン)を求めるように舞台を無作為に駆け回り、神に祈る。タチヤーナの信仰心が厚いことも原作で示唆されていますから、ほんとうに原作から抜け出てきたのではないかとおもったんですよね。何回目の主張だって感じなんですが……。
拳を握りしめてたけど後悔はしていない。行き着く境地は、ある意味今公演でのレンスキーと同じだったのかもしれません。そう考えると、一スペクタクルとして筋が通っていて、更に演劇的で……ああ……(語彙)。
カーテンコールでは、タチヤーナが花束から薔薇を1本抜いてキスしてからオネーギンに手渡していて泣きました。いやもう手紙のPDDでボロ泣きしてたんですけど。
いや、そういう……そういうことをするじゃないですか。そういうところですよ!!
最高のタチヤーナでした……。
おわりに
通読ありがとうございました。
気が付かれたと思うのですが、今日、ほんとうにタチヤーナしか見ていないです。いや、他も勿論素晴らしかったのですが、タチヤーナが段違いすぎて、そして原作通りの、わたしと解釈が非常に一致するタチヤーナだったものですから、もう、それはオペラグラスをずっと彼女のほうに向けておりました。素晴らしかった。あなたがタチヤーナ・ラーリナでいいです……。
そんなタチヤーナに惚れ直した、再び恋をした筆者でしたが、明日も伺います、オネーギン。いよいよ最終日。冒頭でも申し上げましたが信じられません。この幸せな週末が終わってしまうだなんて。それでも、とっても楽しみです!
それでは、またお目にかかれたら幸いです。