世界観警察

架空の世界を護るために

シュトゥットガルト・バレエ「オネーギン」11/2

 おはようございます、茅野です。夜が白んで参りました。ブログ記事書いてるとすぐこうなるんですよね。困っちゃう。

 さて、いよいよ始まりました、本家本元シュトゥットガルト・バレエ団のオネーギン! 早速行って参りましたよ!

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↑パネルがお洒落

三日間、魂を1820年代の帝政ロシアに飛ばしていきましょう。

全日通い詰めることにしたので、一日一記事書けたらよいなぁと思っております。今回は初日、11月2日のオネーギンの感想をぽつぽつと書いていこうと思います。

 

キャスト

エヴゲーニー・オネーギン:フリーデマン・フォーゲル

タチヤーナ・ラーリナ:アリシア・アマトリアン

ヴラジーミル・レンスキー:デヴィット・ムーア

オリガ・ラーリナ:エリサ・バデネス

グレーミン公爵:ロマン・ノヴィツキー

ラーリナ夫人:メリンダ・ウィサム

フィリピエヴナ:ソニア・サンティアゴ

指揮:ジェームズ・タグル

演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

 

開演まえに

 オネーギン、大好きなんですけど、なかなか観る機会に恵まれず、指揮者が指揮棒を下ろすその瞬間まで、「いや、こんなに簡単にオネーギンが生で見られるわけがない」(?)という謎の観念でいたので、もうFebruary(最初の曲)が流れ始めた段階で感動してしまいました。はやい。

 東京文化会館ですよ。そんなん家から数駅じゃないですか。オネーギン含め帝政ロシア熱が高じてロシアまで聖地巡礼をした身としては、もう、それだけで感動ものなわけです。いや……ファンやっててよかった……(?) テンションが最初からクライマックスな筆者であった。

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聖地巡礼レポ

 

 物販では当然パンフレットと、ポスターを入手しました。わーい。このパンフレットがまた完成度が高くて……。これは後ほど別の記事でお話しますね。

 

 席は一階S席、前方中央より下手側です。これはオネーギンファンとしてのリコメンドですが、クランコ版は我らがタイトルロールは第二幕第一場でも第三幕第一場でも下手前に居座っておりますし、タチヤーナが手紙を書くのも下手前。よって少し下手側を取るのがお勧めです。

……とか言ってると、次から席なくなっちゃいそうですね!

 

第一幕

第一場

 そんなわけで、最初からクライマックスなテンションで見始めたわけなのですが……。

普段はボリショイ劇場ばっかり見ているせいか、「東京文化会館ってこんなに舞台狭かったっけ?!」というのが一番最初に思ったことですね。特に第三幕冒頭のコール・ドのときなんか、狭そうで大変そうだなと思ってしまいました。

上演時間も、舞台も、全体的にコンパクトな印象を全幕を通して受けました。

 

 タチヤーナの名の日の祝いのドレスを縫うラーリナ夫人にフィリピエヴナ、オリガ。時代考証班曰く、ここもおかしいとのことですが、まあそれは今は置いておきましょう! ラーリナ夫人は非常に落ち着いた動きをする方で、フィリピエヴナはオペラでの印象と違い痩身で、少し気難しそうな雰囲気。オリガは最初からコケティッシュさ全開です。

 タチヤーナは地面に寝そべって赤い背表紙の本を読んでおります。ルソーの「新エロイーズ」か、或いはリチャードソンの「クラリッサの屈辱」か……。アマトリアン氏のタチヤーナは、「深窓の貴族のご令嬢」というより、表情や仕草をみるに「ロマンティックだが快活な若い乙女」という表現のほうが似合うかもしれません。


 最初の群舞にオリガが加わるポルカ

コール・ドは質が高いなぁと感心したのですが、人数が多いせいもあってか、ジュテの着地音が少し耳障りに感じることもありました。

このポルカ、曲も振りもほんとうに好きで……。開幕に相応しいとおもいます。

 

 次いで、男性メインキャストの登場。わたしの周りでは、オネーギンが出て来ると示し合わせたかのように全員サッとオペラグラスを掲げるのが余りにも連携的で笑ってしまいました。いや、わたしもその一人なのですが……。

フォーゲル氏のオネーギンはぱっと見凄くノーブルな雰囲気を纏っていてとても美しいですね。その皮が少しずつ剥がれていくのがオネーギンという作品なのですが。

 

レンスキーのヴァリエーションからオリガとのPDD。
ムーア氏のレンスキーは勢いあって良いですね! 若さを感じます。

しかし、ちょっとバランス系のテクニックに弱いのか、ヒヤヒヤすることがありました。それも「若さ」ということで……。

リフトも結構勢い任せなところが多いのかな? と思ってしまいました。よって、この振り付けや音楽、演出からなる、オネーギンという作品全体を包み込むような優雅さ、というのは物足りない気がしましたが、若いカップルである二人にはこれくらいで丁度よいのかもしれません。

 オネーギンのヴァリエーションとタチヤーナとのアダージオ。

オネーギンのほうも、回転時に勢いをつけすぎているように感じ、”優雅さ”はもう少しあってもよいのではないのかしら、と思いました。オネーギンというキャラクターの解釈も、フォーゲル氏のなかでは、彼の過ちは「若気の至り」という解釈なのではないかと、わたしは受け取りました。よって、完全に洗練されたダンディではなくて、少し隙のある青いオネーギン。
それにしても、フォーゲル氏のサポートは凄く細かくて良いですね……。タチヤーナが綿のようにふわふわと降りてきて、まるでジゼルのようでした。

 アダージオのタチヤーナのパドヴレの際、フルートが指揮や踊りと合わず先走っちゃっていて勿体ないな~! と思いました! 第三幕のポロネーズも然りですね。ノクターンは非常に美しいだけに、惜しい……!と……!
 どうでもいいんですけど、生でみるとオネーギンのアスコットタイピンがキラッキラに耀いておりました。

 

 ラーリナ家の農奴のコール・ド。

二回目ですが、コール・ド、レベル高いです。もう、言うことないです。

有名なグランジュテの横断も見事でした。

 

第二場

 オペラでいう、手紙の場。

先日の講義で斉藤友佳理さんも仰っていたのですが、アマトリアン氏は手紙を書くノリが非常に現代的です。クランコ版だとそのような解釈でよいのかもしれませんが、当時の帝政ロシアでは、貴族の令嬢が男性に手紙を書くなどはしたない、あり得ないというご時世です。よって、原作やオペラでは、オネーギンが彼女を諭し、窘めるわけです。

書きながら、「あ、いい文句思いついちゃった♪」というような嬉々とした演技が入ると、それは果たしてタチヤーナなのか? と、少し疑問に思ってしまいます。

非常に現代的で、情熱的というより快活な雰囲気を纏わせているタチヤーナでした。

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↑先日の講義


 鏡のPDD。

非常~~~~によかったです。ドラマティック!

難易度の高い当PDDも二人の高い技術力で魅せています。オネーギンはクールな一場との対比が、タチヤーナは夢見る表情が非常によいです。リフトは軽やかで、アマトリアン氏の背中の反りも美しい。
 こういうことはよくあるのですが、リフトの時完全にオネーギンの顔にタチヤーナの白いネグリジェの裾が掛かってしまってオバケみたいになっていたのに少しクスっときてしまいました。ハロウィン仕様かしら。
 最後、オネーギンが鏡から消えるとき、あまりの勢いの良さに驚きました。全体的に勢い有り余ってますよ皆様。元気。
 これは全幕と通して言えることなのですが、オーケストラは非常に優雅である一方、迫力、盛り上がりに少し欠けるような気も致しました。もうちょっと派手にやってもよいと思います……!

 

第二幕

第一場

 タチヤーナの名の日の祝い、聖タチヤーナの日。

ここもダンサーの解釈によって揺れる点で見比べるのが非常に面白いポイントなのですが、アマトリアン氏のタチヤーナはオネーギンが登場するまで、そわそわと彼を待っているのではなく、まだ先程の夢の中にいるような、うっとりした目をしています。

この解釈はわたしの思い描いていたものとは違うのですが、この演技もまた非常に魅力的だと感じました。夢に見た彼の愛を盲信する乙女の表情でした。

 しかし結果はご存じの通り非情です。なによりも、この手紙と心を引き裂くビリビリという破壊的な音が、ハッキリと聞こえるのがもうほんとうに感動して! オネーギンの世界が目の前にあるんだ……とおもってしまいました。


 それにしても、相変わらず第二幕第一場はどこ見てればいいのかわかりませんね! タチヤーナのヴァリエーションも勿論観たいし、下手前でふてくされてるオネーギンも観たいし、奥で仲直りをしているレンスキーとオリガも必見なんです。目が足りません。全て追い切れた自信がない……アンコール!

レンスキーとオリガは少しずつ距離を詰めて、最後真ん中に二人で座るのが愛らしかったです。オネーギンはたまに辺りを見渡しつつカードを切る。タチヤーナのヴァリエーションは非常に叙情的でした。技量は完璧。

改めて見ると展開はやいなぁとおもいますね!


 オネーギンがオリガにちょっかいをかけ始めるシーン。

特にカドリールではなく二人だけで踊るシーンはあまりに挑戦的で蠱惑的なので、わたしはいつも黒鳥オディールのようだなと思いながら観ています。

オリガを誘い出す前に、一瞬ぺろっと舌出して「いいこと思いついちゃった♪」と言わんばかりのオネーギン。かわいい。子供っぽい。しかしその解釈は正解です!

相変わらず五拍子のワルツに合わせて煽る煽る。のどかな田舎町の日常から、決闘という物騒な非日常へ転がり落ちるのに、この短い時間で表現するにはとても友好な手段だとおもいます。本当に振り付けがいい。クランコ版。
 レンスキーに手袋ビンタされた後、オネーギンがよろけて、後ろのモブおじさんがドミノ倒しで倒れるのにはちょっと笑いました。いや、こんな緊迫したシーンでそこコミカルにするのか!とww

 

第二場

 レンスキーのヴァリエーション。

レンスキーがかなり暴力的で、第二場でもまだ勢いづいてると感じました。これもダンサーの解釈の問題です。この解釈も非常によいとおもいます。激情を感じました。

原作やオペラですと、この頃になるともうレンスキーは完全に諦めモードで辞世の句を詠うのですが、ムーア氏のレンスキーはそうではなくて、どちらかというと諦念よりもやるせなさ、やり場のない怒りのようなものを感じました。

 

主役級四人が集うと、改めてみんな若いな、という気持ちにさせられました。それもそのはずで、レンスキーは18歳、タチヤーナは17歳。オリガは推定15歳。オネーギンはわかりませんが、20歳前後でしょう。

まだ皆自分の心と折り合いを付けられていない感じが、この簡単で些細な切っ掛けからドミノ式に悲劇へ墜ちていくオネーギンという物語に非常に合っていたのではないかと思います。

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↑オネーギンの年齢については激論が交わされています。議論をある程度纏めたのでこちらからどうぞ。

 

 第二場でもレンスキーはオネーギンにビンタをお見舞いしますが、ビンタの音がはっきりと聞こえてびっくりしました! フォーゲル氏の頬に跡をつけたら怒られるぞ~!というメタな冷や汗をかきました。

 

決闘。
 レンスキーを殺した後、オネーギンが戻ってきた時のタチヤーナの非難がましい目! こういう目をしたタチヤーナは意外とレアだと思います。

タチヤーナは、このとき何を考えているのでしょう。決闘の場に女性が立ち会うのも当時はあり得ませんから、この場にタチヤーナが出て来るのはクランコ版のみです。

仮にそういう状況になったと仮定して、果たして彼女は何を思うでしょうか?

妹のフィアンセを殺害したのですから、それは当然非難の気持ちもあるでしょう。よって、アマトリアン氏の解釈も当然成り立つと思います。

これは私見ですが、クランコ版では原作のようにタチヤーナはオネーギンの屋敷に訪れないのではないか、とおもっています。その代わり、彼女は悲劇的な決闘に立ち会う。そこで、原作のタチヤーナがオネーギンの屋敷に赴き、彼の生活の断片を垣間見たことで得た心証を、クランコ版のタチヤーナは正にここで得るのです。よって、わたしはここで、タチヤーナはオネーギンを”理解”したのではないかとおもうのです。この”理解”は、彼に対する同情の念ではありません。エヴゲーニー・オネーギンという人間が、どのような人間であるのかという”理解”です。気取りのない、自分の真の姿をタチヤーナの瞳の中に見たオネーギンは、そこで自分の手で行ったことを突きつけられて、頭を抱えるのではないかというのが、わたしのクランコ版オネーギンの解釈です。

もしかしたら、明日明後日、そういうタチヤーナを観ることが出来るかも知れません。

 

第三幕

第一場

 ペテルブルグ、華の社交界

非常に美しいです! が、パンフレットにもあるように、そこは非常に冷たい世界でもあります。当時の欧州文学を読み比べるとわかるのですが、陰惨さみたいなものはパリ社交界にもウィーン社交界にも勝ります。オネーギン自体がよい例ですが、サディスティックな恋愛遊びで周りも己も心を傷つけ、結果的に決闘やら自殺沙汰になって命を溝に捨てます。そういう世界が、「暗黒の時代」のペテルブルグ社交界です。

 

 ですから、続くタチヤーナとグレーミン公爵がPDDの間ごく幸せそうにしていたのはかなり意外な演技でした。

オペラには熱烈なアリアがありますから、グレーミン公爵はわかるとしても、タチヤーナもとても幸せそうでした。バレエ版ですと、大抵の場合グレーミン公爵は非常にチャーミングですから、ここでそういう顔をされてしまうと「じゃあ何故、今更オネーギン?」という感じになってしまうので、説得力に欠けちゃうんですよね。いや、とっても美しかったのですが!
 PDDの間、オネーギンがすぐ後ろを向いてしまってあんまりタチヤーナを見ていないのも、「もっと見ろ!!!」と思って観てました。恐らく、「目に焼き付ける」というよりも、自分の心の葛藤が表に出てしまったのだと思います。いやでも、美しく成長したタチヤーナを見て欲しい!(?)
 原作では「不具の太った将軍」なのに、公爵が機敏な動きをするので面白かったです。クランコ版のグレーミン公爵はほんとうにかっこいいですよね。第三幕でもタチヤーナの心を揺さぶるオネーギンの説得力を出すにはどうすればよいのだと、オネーギン役は頭を抱えてしまいそうですね。


 クランコ版オネーギンの特徴である、幕間の演技。

幕間の第一幕タチヤーナがほんとうに小動物みたいな動きするなあとおもい、かわいいなぁ~~と思って観ていました。全力で捧ぐように本をオネーギンに突き出し、拒否されたあとは逃げるように走り去っていく……。アマトリアン氏のタチヤーナとは全然違うのではないかとおもいつつ、こういうタチヤーナも好きです。が、幕物としては、方向性を合わせたほうがよかったやも。

 

第二場

 さて、大詰め、見せ場、手紙のPDDです!

めちゃくちゃエモかった……(語彙ゼロ)。

手紙のPDDって実は約7分あるんですけど、ほんとうに体感五秒なんですよね。五秒。心揺さぶられるのにすぐ終わっちゃう。気がついたらカーテンコール。

 必死さの伝わる機敏な動きのオネーギンは、原作でいう、「恋の病に取り憑かれ肺病みのようになった」オネーギンではなくて、「少年のように恋をした」オネーギンでした。ここも解釈の分かれるところ! フォーゲル氏は後者のオネーギンでしたね。

 二人とも技量があるので、踊りとしては安心して観ていられたのですが、如何せん心揺さぶられるものですから、すぐ終わってしまったなぁという脱力感が残ります。

 鏡のPDDと同じ旋律になった際、寝そべった状態からグランバットマンで起き上がる大リフトの前にキスを入れていて、あぁ~~~~~ってなりました。これ、やるペアとやらないペアがあるんですよね。やった方がエモーショナルなんですけど、なくてもそれはそれでタチヤーナの最後の抵抗心みたいなものが見えて……。いやもう全部好きなんですけど!

 幕間にメモを取りながら見ていたんですけど、手紙のPDDのメモには一言「エモい」しか書いてませんでした。ほんとうに体感五秒だったのでしょう。

非常に完成度が高いラストでした。やはりオネーギンの締めはこうでなくては……!

 

おわりに

 ほんとうによいものを見せて頂きました。明日明後日も続くなんて、夢みたいですね。実質鏡のPDDなのかもしれません、起きたら手紙を破られるんじゃなくて記憶が破られるのかもしれません。(??)

三日間通うということで、比較も醍醐味なので、一日目としてはこれで締めさせて頂こうかとおもいます!

 それでは通読ありがとうございました。またお目にかかれたら幸いです。では。