こんばんは、茅野です。
先日、1泊2日で弾丸神戸遠征を敢行しました。弾丸旅行ということで、約10年振り(!)に国内便に乗ったのですが、いや~、空の旅っていうのは素晴らしいですね。国際便は利用していましたが、国内便は久々で。意外にも凄く簡単に予約でき、移動時間も短く、そして安く利用できるということを知ったので、今後バンバン利用したいと思います。たのしみ!
さて、今回も殿下(筆者の研究対象推しであるロシア帝国皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ殿下)関連の記事になります。
↑ そもそも殿下って誰? って方はこちらから。
先日、ラジンスキー先生の「推し語り」動画をご紹介致しました。
↑ 自分以外の人がこんなに殿下について熱弁しているの初めて見ました。皆様も良かったら殿下語りしてください正座して拝聴します。
この中で、ラジンスキー先生が殿下のことを «Никс ニックス» と呼んでいることを紹介しました。しかし、題にもあります通り、原則的に殿下は «Никса ニクサ» と呼ばれることの方が多いです。それでは何故、このような「揺れ」が生じているのでしょうか? 今回は、この愛称の揺れを考えて参ります。
そんなマニアックな! とお思いかと存じますが、オタクとしては気になる所ですし……、それに意外と調べていて面白かったので、ご紹介させて下さい。
それではお付き合いの程、宜しくお願い致します!
偉大なる祖父、ニックス
殿下の名である「ニコライ Николай」(原語により近く音写すると「ニカラーイ」になります)は、祖父である皇帝ニコライ1世に肖って名付けられたものです。
↑ 若い頃のニコライ1世。殿下は家族の中だとこの祖父に一番似ていたと言われています。
ニコライ1世といえば、文学の世界ではその徹底的な保守政策から「血の皇帝」と呼ばれ恐れられた存在ですが、逆に捉えれば、政敵から心底恐れられるほどの力を恣にしていたとも取れます。従って、皇家では、その政策の是非は議論されつつも、ロマノフ家の威信を知らしめた偉大な皇帝として尊敬の念を集めていました。
そんなニコライ1世の家族の間での愛称が「ニックス(Никс)」だったのです。皇家で同じ名前の子供が新しく誕生した際、最初の頃は肖った先の愛称が引き継がれました。ある程度成長し、区別が必要になって初めて、個別の愛称が与えられるケースがほとんどだったのです。
別記事でもご紹介しておりますように、殿下に肖って名付けられたニコライ2世は、幼児期には殿下と同じく「ニクサ」と呼ばれていました。少しして、「ニキ」という固有の愛称を得たのです。
従って、我らがニコライ殿下も、幼少期は「ニックス」と呼ばれていたということがわかります。
「水の妖精」ニクサ
幼少期には「ニックス」と呼ばれていた殿下。それでは、何故愛称は「ニクサ」に変化したのでしょうか。
歴史小説家のエレーナ・アルセーニェワ先生によると、以下のようにあります。こちらは «Невеста двух императоров 二人の皇帝の花嫁» という、殿下、弟アレクサンドル大公、そして殿下の婚約者であり、彼の死後、アレクサンドル大公の妻となったデンマークの姫ダグマール、またの名をロシア皇后マリヤ・フョードロヴナの三人を取り上げた作品の引用です。
А наследник престола, который должен был сделаться русским императором после Александра II, в семье уже имелся. Его звали Николаем Александровичем, и, воцарившись, он титуловался бы Николаем II. Впрочем, сейчас, в 1855 году, ему было всего лишь одиннадцать лет и звался он просто Никс. А его лучший друг, младший брат Саша, называл его шутливо Никса.
アレクサンドル2世の後に皇帝になるべき帝位継承者は既に存在していた。彼はニコライ・アレクサンドロヴィチと名付けられ、即位した際にはニコライ2世と称すことになるだろう。しかし、1855年、彼はたった11歳で、単にニックスと呼ばれていた。だが、彼の親友でもある弟サーシャは、彼を冗談めかしてニクサと呼んだ。
アルセーニェワ先生の説明によると、「ニクサ」という愛称は弟であるアレクサンドル(サーシャ)大公によるものだと言います。
こちらの記述は歴史小説であって、しっかりした文献ではないので断言はできないのですが、逆にこちら以外でこの愛称の由来を説明する文章に全く出逢えなかったので、紹介致しました。アルセーニェワ先生の著作は幾つか読んでいますが、なかなか論文や学術書でも見かけないようなマニアックな情報まで駆使して執筆されており、原則的にしっかりと歴史考証が為されているので、恐らく正しいのだとは思います。
それに、このエピソードは、殿下の文献愛読者としても、「有り得る」と強く感じます。よりしっかりとした情報を得ることができたら加筆しますね。
しかし、サーシャ大公は何をどう「冗談」として、殿下を「ニクサ」と呼んだのでしょうか。それは、「ニクサ(Никса)」という語が持つ意味に由来します。ロシア語のウィクショナリー、Викисловарь で引いてみましょう。
в германском фольклоре: русалка, которая пытается заманивать людей в воду.
ドイツの民間伝承で、人を水の中に誘き出そうとする水の妖精(ルサールカ)の意。
そう、「ニクサ(Никса)」とは、ドイツ民話の「水の妖精(ルサールカ)」のことなのです。尚、現地ドイツ語では「ニクセ(Nixe)」と言い、それがロシア語に流入するとなって「ニクサ」に変化しました。
ロシア語版 Wikipedia で «Никса» を引いてみると(※精確には複数形の «Никсы»)、「ニクサ」の説明として、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの有名な絵画、『ヒュラスとニンフたち』が紹介されています。
↑ ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス画『ヒュラスとニンフたち』(1896)。
ニンフ(ニュムペー)はギリシア神話に登場する水を司る妖精です。地域差やヴァリアントも数多くありますが、この名画のように、ニンフ≒「ニクサ」はその美貌や美声で人間を誘い、水底に連れ込む、妖艶なこの世ならざる裸身の美女としてよく描写されました。己の兄をそのように呼んだと言うのなら、なるほど、それは「冗談めかして」ということにもなりましょう。しかしまあ、別記事で確認したように、サーシャ大公は大層ブラザーコンプレックスを拗らせており、兄を溺愛していたので、彼を「妖艶な美女の姿をした妖精」に喩えたというのは、正直、さもありなんというところです。
尤も、殿下は実際に容姿端麗でしたし、我々を彼そのものという「沼」に引き摺り下ろしまくっているので、ある意味天才的なネーミングと言えるかもしれません。同時代人も同じように思っていたのか(?)、この「ニクサ」という愛称は程なく定着してゆきました。殿下自身、家族への手紙のサインにこの愛称を用いるなど、家族間ではすっかり「ニクサ」で通っていたようです。一方、サーシャ大公の側近リトヴィーノフ中尉のように、「ニックス」と呼び続けた人も居たため、「揺れ」が生じていた、ということのようです。
わたくしが資料を漁って確認した限りでは、そうですね……、「ニクサ」と呼ぶ人が7割、「ニックス」と呼ぶ人が3割程度でしょうか。マジョリティは「ニクサ」で間違いないと言えます。
尚、「ルサールカ」というのは、スラヴ神話に於ける水の精を指します。「ニクサ Никса」はドイツ語の「ニクセ Nixe」をロシア語化した外来語ですが、「ルサールカ」はロシアに古来より伝わる民話に基づきます。
ドイツの「ニクセ」とロシアの「ルサールカ」の違いとして、前者は「水を司る」という定義しかないのに対し、後者は「不自然な死に方(事故、殺人、自殺など)で早逝した娘」がなるもの、と考えられていました。スラヴ神話では、一般的な死者の魂は木の上に棲まうとされましたが、早逝した死者の魂は水底に留まり、人間を水中に引き摺り込むとされ、それがドイツから流入した「ニクセ」のイメージと結びつき、「水の精」と捉えられるようになったのでしょう(※民話ゆえ、様々なヴァリアントが存在します。これは最も一般的な解釈の一つにすぎません)。
そんな「ルサールカ」は絵画、文学、音楽など、様々な分野の芸術作品の題材にされています。高名な画家クラムスコイも描いていますね。
↑ イヴァン・クラムスコイ『ルサールカたち』(1871)。
ちなみに、ロシア語では「人魚姫」も «ルサールカ Русалка» に指小辞を付けた «ルサーロチカ Русалочка» と言います。
↑ ロシア語版のアンデルセン作『人魚姫』の表紙。
↑ ロシア語版のディズニー映画『リトル・マーメイド』のポスター。
余談ですが、『人魚姫』を著したデンマークの童話作家アンデルセンは、殿下の婚約者であった同国の王女ダグマール姫と親交があり、度々宮殿に訪れて彼女に読み聞かせをしていたと言います。『人魚姫』が書かれたのは1837年なので、この物語も作家本人から読み聞かせて貰っていた可能性はとても高いでしょう。何がどう繋がるかわかりませんね……。
ダグマール姫も勿論彼のことを「ニクサ」と呼んでいたので、もしかしたらこの愛称の由来について、二人で話し合ったこともあったかもしれませんね。
ニコライと水
殿下の愛称「ニクサ」は「水の精」という意味であることを解説して参りました。ここからは、もう少しこの名前と「水」の関係性を掘り下げてゆきます。
そもそも、「ニコライ」という人名は、キリスト教の聖人「聖ニコライ(聖ニコラオス)」に由来しますが、彼は「水」や「航海の安全」を司ります。
↑ 聖ニコライの肖像。
彼には様々な逸話、奇跡の物語がありますが、その一つが「溺死した水夫を蘇らせた」というもの。ここから、彼は「水」の守護聖人だと考えられるようになりました。
「ニクサ」は「水の精」ですが、祖父の愛称「ニックス Никс」はどうでしょうか。全く有名なものではありませんが、ニジニ・ノヴゴロドにこの名の川があるようです。尤も、表記揺れしており、 «Нукс» と表す方が一般的なようなので、こちらが意識されている可能性は低いかとおもいますが、いずれにせよ、「川」という、水に関連するものであるというのは興味深い事実です。
全体的に「水」と縁が深いお名前。それを表すかのように、殿下自身、「水」に纏わるものを愛好していました。
殿下はスポーツも好きでしたが、特に愛好していたのは水泳で、彼と海に出掛けたことがある同時代人は、誰もが殿下の泳ぎの上手さとしなやかな身体付きを賞賛しています(その一例)。
また、一番の趣味はセーリングで、少ない空き時間にはよく海に繰り出していました。9歳の頃には、イギリス製の優れた己の船を所有することになります。
↑ 殿下が所有していた船。幾ら愛らしい幼い息子のためとはいえ、ポンとこのような巨大な船一隻を買い与えられるロマノフ家の財力が怖い。
この船は、元から「殿下のために」と建造されたため、建造中から仮称として正に「ニクサ号」と呼ばれており、結局その名前をそのまま正式に冠することになりました。
↑ 「ニクサ号」に積み込まれていた食器類。しっかり «Никса» と書かれています。
なお、この「ニクサ号」は殿下が亡くなった後も使用されており、1884年には、「限界同担列伝」シリーズにも登場した海軍少将ポシェトの指揮により運行されています。
ロマノフ家のニコライさんたち
殿下の名に纏わる「水」のモティーフについて解説して参りました。最後に、ロマノフ家の別の「ニコライ」さんたちの愛称について纏め、この記事を終えたいと思います。
ニジ
ニコライ1世より後の「ニコライ」さんで、最も年長なのがニコライ・ニコラエヴィチ大公、愛称「ニジ(Низи)」です。彼は殿下の叔父(父の弟)で、一般的には «Николай Николаевич Старший(年長のニコライ・ニコラエヴィチ)»と呼ばれています。
↑ ニジ大公。
コーリャ
次にご紹介するのが、ニコライ・マクシミリアノヴィチ・レイフテンベルク公、愛称「コーリャ(Коля)」です。「列伝」シリーズでも軽くご紹介しています。彼は殿下の従兄(父の妹の息子)で、殿下と同じ1843年生まれですが、2ヶ月ほど年長です。殿下と仲が良く、幼少期はよく共に遊んだり勉強したりしていました。
ロシアの人名には必ず「愛称形」という形があり、原則的には好き勝手なニックネームを付けることはできず、この愛称形に則って呼ばれます。しかし、ロマノフ家には「ニコライ」さんが余りに多い為、この愛称形では捌き切れず、独特の愛称を使っているのです。「ニコライ」の最も一般的な愛称は「コーリャ」で、この愛称は彼に冠されたようです。
↑ コーリャ大公。
ニコラ
前回の記事でもご紹介しました、ラジンスキー先生も熱を込めて語っていたのが、ニコライ・コンスタンティノヴィチ大公、愛称「ニコラ(Никола)」。フランス語風にしているわけですね。彼は殿下の従弟(父の弟の息子)で、皇家でも殿下に並ぶ指折りの美男子として知られていましたが、その美貌を武器に放蕩に耽り、スキャンダルを起こして、皇家の威信を失墜させたことで有名です。
↑ ニコラ大公。
ニコラーシャ
前述のニジ大公のご子息の一人が、父と全く同姓同名にあたるニコライ・ニコラエヴィチ大公、愛称「ニコラーシャ(Николаша)」です。殿下の従弟(父の弟の息子)にあたりますが、10歳以上年の差があります。身長が198cmあり、これは「巨人皇帝」アレクサンドル3世(サーシャ大公)にも勝ります。
一般的には、同姓同名の父と区別するため、«Николай Николаевич Младший(年少のニコライ・ニコラエヴィチ)» と呼ばれていますね。
↑ ニコラーシャ大公。
ニキ
最後にご紹介するのが、殿下と全くの同姓同名、ニコライ・アレクサンドロヴィチ大公、即ちニコライ2世、愛称「ニキ(Ники)」です。殿下の甥である彼は、殿下を溺愛していた弟サーシャ大公と、元は殿下の恋人・婚約者であり、勿論殿下のことを深く愛していたダグマール姫の間の長子。従って、その名の由来は殿下にあります。
19世紀を通じて、「国際共通語」とされたのはフランス語でしたが、次第に英語の影響力が強くなりはじめ、ご存じのように現代に掛けて英語が「国際共通語」に取って変わります。従って、彼の愛称は英語風に、「ニッキー(Nicky)」になっているわけです。
↑ ニキ大公。
このように、ロマノフ家には多くの「ニコライ」さんがいましたが、それぞれ異なる愛称を持っていました。単にフランス風(ニコラ)やイギリス風(ニキ)のものとは異なり、「ニクサ」は「水の精」という明確な意味を持っていたことは特筆に値します。これは、水泳や航海を好んだ殿下には相応しい愛称だと言えるでしょう。
最後に
通読お疲れ様でございました。予想外に長くなってしまい、7300字です。
殿下の愛称についてはいつかしっかり纏めておきたいと思っていたので、脱稿できてよかったです。殿下、青い軍服を好んで纏い、自室の壁紙やカーテンも青色が多かったことを考えると、どう考えても水属性ですよね。
しっかし、仮に殿下に水中に誘われたら、何も考えずにホイホイ従う同担な方々は多いのではないでしょうか(特大ブーメラン)。このままだとロシアの河川が水死体まみれになってしまいます! あっでも聖ニコライは溺死者を蘇らせることができるんですよね……なにこれ壮大なマッチポンプ……?(?)。いずれにせよ、殿下が血の通った人間として実在したことに感謝しましょう。
ちなみに、ご存じの方は少ないかとおもいますが、実はこのブログ「世界観警察」の ID は「sylphes(空気の妖精)」といいます。由来はブルグミュラー作曲の『Les Sylphes』なのですが、わたくしが小学生の頃の某コンクールの課題曲でした。簡素な構成ながら、割と好きな一曲でしたし、このコンクールで初めてちょっとした賞を頂き、愛着が湧きまして。わたくしがインターネットを触り始めたのも小学校5年生くらいの頃だったので、当時から SNS の ID の類は「sylphes」で統一してしまっており、そのままずるずると現在に至るまで使用している……という次第なのです。はずかしいですね。
↑ 物語性を感じる題と三部形式じゃないですか?
アンデルセンの『人魚姫』では、最後に人魚姫は空気の精となります。何だかちょっとした運命性を感じると申しますか、あっここでフラグ回収するんだ……(?)みたいな気持ちになりました。わたくし自身は間違っても「空気の妖精」という柄ではないのですが、漸くこの ID に新たなる意義を見い出せたような気が致します。我ながら意味不明ですね。
今回以外にも、リサーチが粗方済んでいる殿下関連のネタが幾つかあるので、準備が整い次第書いてゆきたいと思っています。何せ、オタクなので、熱が尽きることはないのです。寧ろ、気が付くと殿下関連記事ばかり量産してしまうため、何とか別のことにも興味を向けてゆかないと……の領域です。なんとかします!
それでは今回はお開きとします。また別記事でお会いしましょう!