世界観警察

架空の世界を護るために

自由は心に住みよいか - 特別お題記事

 こんばんは、茅野です。

 

 今回は、特に書く予定はなかったのですが、1時間強時間が空きましたので、折角ですし特別お題に乗じて一筆やってみようかと思います。

↑ 特別お題バナー。

 というわけで、今回は久々に、取り留めも無い簡単なエッセイを。

 

 

 この間、演劇のライブビューイングで、チェーホフの古典的名作『かもめ』を観ました。

 それに際し、原作も再読して参りました。

↑ 戯曲自体は短いのでサクッと読めますし、読めばきっと観たくなります。

 

 『かもめ』には、ボリス・トリゴーリンという売れっ子の作家が出て来るのですが、彼には第2幕に長台詞があります。その中から、二ヶ所引用します。

 Бывают насильственные представления, когда человек день и ночь думает, например, все о луне, и у меня есть своя такая луна. 
День и ночь одолевает меня одна неотвязчивая мысль: я должен писать, я должен писать, я должен... Едва кончил повесть, как уже почему-то должен писать другую, потом третью, после третьей четвертую...

 人が日夜同じことを考え続けるような、強迫観念があるでしょう。例えば、それはある人にとってはお月様だろうし、私にとっても、そのような "月" がある。

日夜私を追い立てる観念とは、つまり、「私は書かなければいけない、私は書かなければ、書かねば……」ということです。

一作書き終えるや否や、次を書かなくては、その後には三作目を、更に四作目を……ってね。

Вот я с вами, я волнуюсь, а между тем каждое мгновение помню, что меня ждет неоконченная повесть. Вижу вот облако, похожее на рояль. Думаю: надо будет упомянуть где-нибудь в рассказе, что плыло облако, похожее на рояль.
Пахнет гелиотропом. Скорее мотаю на ус: приторный запах, вдовий цвет, упомянуть при описании летнего вечера.
Ловлю себя и вас на каждой фразе, на каждом слове и спешу скорее запереть все эти фразы и слова в свою литературную кладовую: авось пригодится! 

今、僕はあなたとここにいる。しかしその間の一瞬々々にも、未完の作品が僕を待っているのだと憂慮してしまうのです。あの雲を見て、グランドピアノに似ていると感じる。そして考える、お話のどこかで書かなくちゃいけない、「揺蕩う雲はグランドピアノに似ていた」……とね。

ヘリオトロープの香りがする。このことも早速記憶する。甘ったるい香り、未亡人の色……夏の夜が舞台の時に使おう、なんて。

ひょっとしたら役に立つかもしれないから、と思って、まるで狩りでもするかのように、あなたの言葉の一つ々々、あなたの使う単語の一つ々々さえも捉えて、自分の文学的貯蔵室に放り込んでしまうのです!

(双方拙訳)。

 

 個人的には、このトリゴーリンの言葉が、「強迫観念」という概念に関し、最も共感できる、そして適切な説明をしていると感じます。

 

 小説を書く人でなくとも、この企画に参加している同志ブロガーの皆様なら、字義通りにこの言葉に共感されるのではないかと思います。日常生活を送る中で、「ああ、これはネタにできるな」、と。

そうでなくても、例えば、「ああ、この話は Twitter でバズりそうだな」とか、インターネットで遊ぶ人々ならば大半は覚えがあると思います。

当然、わたくしもその一人です。

 

 「お題」の紹介を読む限りでは、解決策も提示すべきだと思われますので、少し自分の経験に絡めて語ろうかと思います。

 

 ここで言う「強迫観念」とは、言い換えれば、自分が主体であれ、他人が主体であれ、「何かの行動を強要される」ことです。

 行うべき行動が言語化されるとき、人はそれが起こる未来を想定します。

 

 「未来を想定する」とはどのようなことでしょうか。

 わたくしは、フランス戯曲を専攻していたので(勿論、『かもめ』はロシアの戯曲ですけれど)、オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラダンの戯曲、特に『アクセル』という晩年の作品を研究していました。

この作品の中で、同題役の主人公が語る哲学は並外れていて、様々な議論を巻き起こしてきました。

彼が言うには、「現実は、己の頭の中で描いた理想に絶対に打ち勝つことができない」のです。

 

 自分が想定する「理想」とは、己のそれまでの人生経験から作り上げた最適解であるわけですから、理想という「最適解」を想定した時点で、現実はそれに太刀打ちすることができません。

現実が想定の通りになる、ということは殆ど考えられませんから、現実はそれを下回る、そうでなくとも少なくとも己の想定する「最適解」とは違ったものになるからです。

 従って、アクセルは、「未来を想定したのならば、それを現実に行う必要は無いのだ」と喝破します。この語義で考えれば、現実は想定を越えることが不可能だからです。

 「何かをしなくてはいけない」と未来を憂うとき、しかしそれが必ず不出来なものになるのだとわかっているとしたら、何故それをしなくてはならないのでしょうか?

 

 もう一つの例示は、「強要」に関してです。

幼少期に、このような経験はありませんか。「よし、これから宿題をやろう」と思い立った瞬間、親から「ほら、宿題はやったの? 早くやりなさい」と急き立てられる。その途端、気力がみるみる萎んでしまう。

 つまり、「自発的に行う」と捉えれば積極的に行動に移せるのに、「強制されている」「それは義務だ」と感じた途端にやる気を失う、ということです。

 

 「何かをしなければならない」と考える時、人は未来に目を向けます。しかし、その想定した理想と、現実は、必ず異なるものになり、そして殆どの場合、現実はその想定を下回ります。従って、それをどうして現実で行わなければならないのか、と憤るのです。

 「何かをしなければならない」と考える時、それは何かからの強要であり、義務であると感じます。人は、多くの場合、そのような強制に嫌悪感を覚えます。

 そうして、その檻のような「強迫観念」から逃れたい、と感じるわけです。

 

 ここからの脱出は、実は至極簡単で、要は、未来を考えなければよいと、ただそれだけのことです。

遙か先の未来には目を向けず、単に目先のことだけに思考のリソースを全て割く。それだけのことです。

 ロシア語では、このようなことを「印象を集める( собирать впечатления )」等のような特徴的な言い方をし、レールモントフトルストイも書いているし、文学でもよくお目に掛かる表現です(或いは、こんなところにも)

 

 勿論、そのことによって長期的な計画を立てることができなくなりますが、現在の積み重ねが未来になるわけですから、とにかく現在を全力で生きる、それは十分な「最適解」になるのではないでしょうか。

 

 或いは、もう一つの解決策として、その責任を何か大いなる別のものに課してしまうことです。

以前、親友から興味深い体験談を聞いたので、共有したいと思います。

 

 親友と、その友だちのサウジアラビア人の女の子が、一緒にパリを旅行したときのことです。二人は岐路に立っています。

親友は、地図を読むことが得意で、地図を一瞥した後、右側の道が正しいと知り、彼女に「右へ行こう」と言います。

しかし、地図を読むことが苦手で、更に地図さえも見ていないその女の子は、「いや、絶対に左だ」と言って聞きません。

親友は粘り強く説得を続けますが効き目がなく、「絶対に間違っているよ」と前置きをした上で、左へ進みました。

 当然、道は間違っています。

親友は彼女に、勝ち誇ったように告げます。「ほら、言った通りだったでしょう」。

彼女は非を認めたうえで、こう返したといいます。「そうだね。ということは、神が私に『一度間違え』と言った、ということだ」、と。

 

 彼女はサウジアラビア人ですから、当然ムスリマイスラーム教徒)です。親友は、「いやあ、あのときは、正にカルチャーショックを感じたよ」と微笑んでいましたが、そのエピソードを聞いて、わたくしも興味深く思ったものです。

 「全ては神の御心のまま」という運命論を信じるならば、間違いさえも神の意志

人生には反省も必要ですが、この哲学が社会に共有されているのならば、何かミスを犯しても気負いすぎることなく生きてゆけるのだろうと思いましたし、その世界観は人生を幸福にするのだろうとも感じました。

 わたくしは無宗教者ですが、宗教の意義というものをここで深く感じましたし、もし自分が何か宗教に入らなくてはならくなったら、イスラームがいいな、とも思ったものです。

 「正しいことをしなくてはならない」という考えがあるのなら、このような考えを取り入れてみると、気が楽になるのではないでしょうか。

 

 ……なんて、この親友のお話も、正に「自分の文学的貯蔵室」に放り込んだ、「言葉の一つ々々」、なんですけれどね!

 

おしまい。(4104字)

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