世界観警察

架空の世界を護るために

VALIS - Everybody's Gone to the Rapture考察5

 こんばんは、茅野です。

 今回も前回に引き続き、『Everybody's Gone to the Rapture 幸福な消失』の古の考察メモを頼りに成文化を図ります。今回は、今のところ一応最終回という扱いになりそうです。

 

過去の記事はこちらから↓

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↑日英ダイアログ全文。

sylphes.hatenablog.com

↑考察記事群はこちらから。

 

 考察記事第五弾となる今回は、フィリップ・K・ディックの『ヴァリス』三部作を読み解きながら、『幸福な消失』の世界に迫ってゆきます。

それでは宜しくお願い致します。

 

 

ヴァリス』三部作

 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』『高い城の男』などでお馴染みのSF作家、フィリップ・K・ディックに、ヴァリス』『聖なる侵入』『ティモシー・アーチャーの転生』からなる三部作が存在します。『ヴァリス』とは! まさに『幸福な消失』との関係が見えるでしょう。

 この『ヴァリス』ですが、『消失』考察勢必読の書。先に申し上げておくと、この『幸福な消失』、『ヴァリス』のゲーム化と言って差し支えないくらい、『ヴァリスなのだ。全くストーリーが同じ、というわけではありませんが、所謂「読み替え」という形で、『ヴァリス』の要素が死ぬほど出てきます。誇張なく、"死ぬほど"出てきます。考察難易度カンストでお馴染みの『幸福な消失』の考察をやりたいならば、まず取っ掛かりとして『ヴァリス』三部作を読むべし

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↑お世話になったハヤカワ文庫SFの新訳版のリンクを貼っておきます。山形浩生先生の軽快な訳もいいぞ!

 

ヴァリス』のあらすじ

 SF作家フィル・ディックは、友人グロリアの自殺を切っ掛けに狂い始める。麻薬を常用し、何が現実なのかもわからなくなっていたが、自分がイカレていることだけは認識していた。そこで、己を「ホースラヴァー・ファット」という頭のイカレた人物として客観的に捉えることにした。しかし、「ホースラヴァー・ファット」はフィルを離れて一人歩きし始める。ファットはあるとき、ピンクの光線を受信し、そこから偉大な情報を知ったという。彼はそれを神からの詔と認識し、「トラクタテ」や「釈義」と呼ぶ深遠な神学的日誌として纏めはじめる。

 あるとき、ファット=フィルは友人とB級SF映画を観に行く。題は『ヴァリス』。その内容とは、『ヴァリス』という人工衛星からピンクの光が照射され、アメリカを救うというもの。それはファットが受信したピンクの光と全く同じものだった。

 ファット=フィルは、『ヴァリス』の制作者、エリック、リンダ・ランプトン夫妻と作中音楽を担当した電子音楽家ミニに会いに行く。彼らが言うには、「『ヴァリス』は実在する」。そして、リンダ・ランプトンと『ヴァリス』は子を成し、娘を設けたという。彼女は、叡智、神性の象徴、聖ソフィアであり、フィルとファットの分裂を"治し"、ひとりの人間として蘇らせた。

 しかし、ミニが誤ってソフィアを殺してしまう。フィルは彼らの元を去る。フィルにとってソフィアの死の印象は大きく、フィルはまたファットと分裂し、ファットはピンクの光を視はじめる。フィルはそんな日常に慣れ、"何か"を待ち続けた。それが己の使命と信じて。[完]

 

……わけわからん、とお思いになったことでしょう。それはわたしの筆の拙さもあるでしょうが、実際にめちゃくちゃヘンな小説なのです。わたしも2.3回読みましたよくわかりません。そのわからなさが、『ヴァリス』の真髄です。いや、しかし、あらすじ書くの大変だった……。

 

間接自己言及

 『幸福な消失』と直接的には関係しませんが、『ヴァリス』の根幹にある、ホースラヴァー・ファットとフィル・ディックの分裂について少しだけ述べます。

 ホースラヴァー・ファットとフィル・ディックが同一人物である、ということは考察するまでもなく作中に示されます。しかし、名前が示された段階で、その謎は最初から解くことができます。

 「ホースラヴァー・ファット」という名は、そのまま「フィリップ・ディック」という意味になります。「フィル」は「フィリップ」の愛称、省略形です。「ホースラヴァー・ファット」は英語で「Houselover Fat」、「フィリップ・ディック」は「Philip Dick」と書きます。"Philip"という英語名の元はギリシャ語名 Φιλιππος (Philippos) です。これは φιλος (philos) "友""愛する者" と、 ιππος (hippos) "馬" という二つの語を繋ぎ合わせた名前です。つまり、Philippos、或いは Philip という名が"馬の友"と言う意味になります。これを英語に直すと"Houselover"になるのがおわかり頂けるとおもいます。 続いて「ディック」ですが、ドイツ語で Dick は「厚い」という意味になり、それを英語にすると"Fat"。つまり、Houselover Fat=Philip Dickというわけ。

 

 

 『ヴァリス』では、フィルが語り部「ぼく」としてホースラヴァー・ファットという己自身を俯瞰する形式で書かれます。この形式自体が既に奇妙なのですが……、もう少し踏み込んで考えてみましょう。この形態は、より突き詰めて考えると、「間接自己言及文」という哲学、論理学、数学、言語学などで扱われる問題に突き当たります。自己を言及することにより、一種のメタ性が生まれてしまうのです。これは、これまでの考察記事で取り上げてきたダグラス・ホフスタッター氏の『METAMAGICAL THEMAS』でも述べられている事項でもあります。 

 これまでの考察記事でも述べてきたように、『Everybody's Gone to the Rapture』には、明確に「ひとつになる」ということがテーマにあります。このホースラヴァー・ファットとフィル・ディックの分裂と結合、そして「光」としてのプレイヤーが介在することによって生まれる"メタ性"というのもテーマの根幹として捉えることが出来るかもしれませんね。

 

VALISとはなにか

 さて、ここからは『ヴァリス』の内容に入っていきましょう。かなり沢山、長く引用しますが、付いてきて下さい。そして、『ヴァリス』、出来れば買って下さい(ダイマ)。

 まずは、そもそもVALISってなんなんだ、というところから見てみましょうか。実は、それは『ヴァリス』という本を開いてすぐのところに書いてあったりします。

VALIS (アメリカの映画から。巨大活性諜報生命体システム(Vast Active Living Intelligence System)の略): 自己監視型のマイナスエントロピー渦動が自律的に形成され、次第に環境を吸収・編入して情報の配列にするような現実フィールドの摂動。準意識と目的、知性、成長、円環的なまとまりが特徴。

               ―――大ソヴィエト辞典 第六版、1992年

           (フィリップ・K・ディックヴァリス』冒頭)

Vast Active Living Intelligence Systemの略だったとは! ……にしても、この説明、意味不明ですね。ちなみに、この「大ソヴィエト辞典」というのは、実在したもので(原語で Большая советская энциклопедия といいます)、ロシア語の百科事典です。しかし、実際には第三版までしかなく、第六版というのはディックの創作となります。

最後の「準意識と目的、知性、成長、円環的なまとまり」というのは『Everybody's Gone to the Rapture』の"光"にも共通する事柄ですね。

 他にもVALISについて言及されている箇所をみてみましょう。

ファットが言った。「人工衛星。VALISか。巨大活性諜報生命体システム。それがみんなに情報を発射するのか?

「それだけじゃあない。状況次第ではみんなをコントロールする。好きなときにオーバーライドでいるんだ」とケヴィン。

(中略)

ケヴィンは言った。「初期のキリスト教―――本物の連中―――は人々に何でも好きなことをやらせられたんだ。そしてどんなものでも見させたり―――見させなかったり―――できた。(中略)」

「でも初期キリスト教徒は死んでる。」(中略)

「連中は死んでる」とケヴィンは言った。「もし時間が本物だと信じるならね。時間の機能不全を見ただろう?

          (フィリップ・K・ディックヴァリス』p.247-8)

 VALISは人工衛星で、情報を発射し、ときにはオーバーライドできる。核心に迫って参りましたね。また、ここで示されるのは「初期キリスト教徒」の存在です。この「初期キリスト教徒」について、『ヴァリス』では膨大な量"頭のイカレた"ホースラヴァー・ファットが考察を書いているので、是非読んでみて下さい。どこまでが正気の沙汰なのかわからないところが非常に面白いです。

 さて、この「キリスト教徒」というところを何故取り上げたか、というと、皆様もうおわかりかとおもいますが、タイトルです。『Everybody's Gone to "the Rapture"』。そう、携挙です。これはキリスト教用語です。ここからも関連性を読み解くことができそうですね。携挙の先に、時間という概念は存在しません。ここでの「初期キリスト教徒」というのは、携挙した先の人々を指すのかもしれません。

 次は、『ヴァリス』の続編『聖なる侵入』から引いてみたいとおもいます。

「『ヴァリス』ってどういう意味?」

エリアスは言った。「巨大活性諜報生命体システム。(後略)」

エマニュエルは言った。「でもヴァリスって何なの?

 「みんなが現実だと思い込むようなホログラムを投射する人工衛星

「じゃあ現実生成機なんだね」

「そうだ」とエリアス。

「ほんとうに正真正銘そうなの?」」

「いいや。ホログラムだと言ったろう。そいつはみんなに見せたいものを何でも見せられるのでな。」

         (フィリップ・K・ディック『聖なる侵入』p.117-8)

 VALISは現実だと思い込むようなホログラムを投射する人工衛星。もうこれ答えですよね……。確かに、我々が「光」として認識している登場人物たちはしっかりと人型を取り、ホログラムという表現にもしっくりきます。

 最後に、最も核心を突いた一言を、この三部作を翻訳された山形先生の後書きから引きます。

ヴァリスとは最終的に、きみたち人間ひとりひとりなんだ

           (『聖なる侵入』訳者あとがき 山形浩生 p.422)

前回の記事、「神と光と"わたし"」で、「光」とはプレイヤー、つまりわたしたちのことなのではないか、と述べました。

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まさかの、ここで答え合わせ。根拠が手堅くなって参りました。

 しかし、「VALIS とは謎の人工衛星だったのでは? 何故人間一人一人になるの?」という疑問が残るとおもいます。つまり、こういうことです。「VALISはピンクの光やホログラムを放射することによって、ひとの見方を、つまり"世界観を変える"。それがVALISの役割である。しかし、それは人間にも行うことが出来るし、この現実世界においては人間にしか不可能なことだ。VALISとは、『ヴァリス』というヘンテコなSF小説の中で、この真理が形を変えて描写された姿。つまり、人間こそがVALISの正体だったのだ」。というわけです。納得頂けたでしょうか。

 

  さて、VALISとはなんぞや、という一番と言っても過言ではない謎が解けたので、ここで解散してもよいのですが、折角なので『ヴァリス』三部作を丁寧に読みながら、他の『Everybody's Gone to the Rapture』の他の現象についても考えてみましょう。

 まずは、"光"について。

神様に会ってから、ファットは神様への不自然な愛を抱くようになった。それはふつうだれかが「神様を愛する」というときの愛じゃない。ファットの場合、それは本物の飢餓感だった。そしてもっと変なことに、あいつはぼくたちに、神様が自分を傷つけて、それでも自分はアル中が酒を渇望するように神様を渇望するんだ、と語った。あいつの話だと、神様はピンクの光線をまっすぐ当てたんだと。その頭に、目に。ファットは一時的に目が眩み、何日も頭痛がした。そのピンクの光線を説明するのはとっても簡単、とファット。目の前でフラッシュがたかれたときに、燐光の残像として見えるものとまったく同じ。ファットはその色に霊的に取り憑かれていた。ときどきそれはテレビの画面に出てきた。あいつはその光を求めて生きた。その特定の色だけを求めて。

            (フィリップ・K・ディックヴァリス』p.29)

 これはきっと、アップルトン夫妻がはじめて"光"に遭遇したときと酷似しているのではないか、とおもいます。「頭痛」という共通点、又、アップルトン夫妻は"光"を観測した際に火傷を負っていることからもそれは伺えます。更に、「テレビの画面」というのもポイント。スティーヴンの言説では、"光"は電話やラジオ、テレビなど、何か回線を通して接触を試みるからです。

 ただ、『Everybody's Gone to the Rapture』の"光"って、ピンク色ではないんですよね。ここだけが未だに解けない謎。ピンクだと何か不具合があったんでしょうか。

しかし、まあ、強いて言えば、VALIS TOWERの照明はピンク色と言ってもいいですね。関係があるかは存じませんが。

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あいつを傷つけ、目を眩ませたピンク光線の体験を巡ってファットがぼくたちに強調した重要な論点がある。即座に―――光線が自分にあたった途端に―――これまで知らなかったことを知った、とあいつは言うんだ。

            (フィリップ・K・ディックヴァリス』p.31)

"光"は高次元の存在、つまりわたしたちと考えられます。わたしたちは、彼らがどのような結末を辿るのかを知っていますし、このような考察を行うことによって諸々の真実に気付きつつあります。つまり、ホースラヴァー・ファットよりも、スティーヴン・アップルトンよりも、"情報を持っている"のです。彼らがわたしたちと接触したならば、「これまで知らなかったことを知る」のは当然のこと。その叡智は「世界観を変え」ます。

 

ファットの見解では、アパートが何らかの高い放射線で満たされたのだった。それどころかあいつは、それを見たという。セントエルモの火のように舞い踊る青い光だ。

 そしてそれだけでなく、アパートの中をジジジと飛び回るオーロラは、知覚力を持って生きているかのような動きを見せた何か物体に入ると、その因果プロセスに介入した。そしてファットの頭に到達すると、それは―――情報も伝達したがそれだけでなく―――人格を伝えた。ファットのものではない人格だ。別の記憶、習慣、嗜好やクセを持つ人物。

           (フィリップ・K・ディックヴァリス』p.177)

 今度は「セントエルモ的な青い光」。『Everybody's Gone to the Rapture』の光は、青でもないんですよね。うーん、色に関しては未だに謎ですね……。

 色以外に今回注目したいのは、「オーロラ」です。「歌詞翻訳」の記事にも書きましたが、『Everybody' s Gone to the Rapture』には「Aurora」という曲がありますし、作中にもオーロラは出ていますよね。

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 『Everybody's Gone to the Rapture』では、流石に室内までは現れませんでしたが……"光"ということなら、話は別ですね。

 

それからアパートが、セントエルモの火的なプラズマエネルギーに満たされ、それが生きて思考しているかのように思える動物たちが死ぬ。(中略)ま、これだけは言わせて貰おう。ファットが遭遇したのは神様ではなかったかもしれないが、まちがいなく"何かとは"遭遇したのだ

           (フィリップ・K・ディックヴァリス』p.180)

"光"が生きて思考しているかのようにおもうのは、ホースラヴァー・ファットだけではなく、ケイト・コリンズも然りです。又、「動物たちが死ぬ」というのも、主にChapter 2 で示される通りです。"神様"の正体は、前述した通り。この引用は、そっくりそのまま『Everybody's Gone to the Rapture』にも当て嵌まると考えられます。

 

ピンクの光が一閃して目が眩んだ。

「ああ神様」とぼく。

目が見えなかった。おでこが痛み、爆発しそうに脈打っていて、ぼくは手を当てた。

「どうしたんだ?」とデヴィッド。掃除機のような低音のハミングが聞こえた。目を開いたが、まわりを漂うのはピンクの光だけだった。

              (フィリップ・K・ディックヴァリス』p.354)

 こちらは終盤に"ピンクの光"を受信した"フィル"の描写。"光"は動き回る際、ホラーゲームと錯覚するような音を立てていますが、そのことを描写しようとすると、このような表現になるかもしれません。

 

神様

 次に、「神様」についてみてみましょう。『ヴァリス』は、その大半が神学論議と言ってもいいほど、延々と「神様」の話をしています。それもキリスト教に限らず、ありとあらゆる神の話をしています。宗教学に興味がある方は是非『ヴァリス』、お手に取ってみて下さい。

ここで言っているのはキリストのことだ。キリストは地球外生命体で、何前年も前にこの惑星にやってきて、生きた情報としてすでにここで暮らしていた人間、土着生命体の脳に入り込んだ。ここで言っているのは、異種間共生の話だ。

           (フィリップ・K・ディックヴァリス』p.189)

 この引用を読み解くと、この「地球外生命体キリスト」なる、エヴァンジェリカリストの方々には怒られそうな存在が、まさにVALISであることがおわかり頂けるかとおもいます。つまり、"神様"とは、"VALIS"であり、"光"であり、"わたしたち"なのです。

 

神様はどんな生き物でも死は望まない。神様は非在に喜んだりしない。ハーブ・アッシャー、神様が何なのか知ってる? 神は存在の原因を引き起こすんだ。言い換えると、万物の根底にある存在の基盤を追求すれば、まちがいなく神様が見つかるんだ。現象としての宇宙から遡っても神様にたどりつくし、創造者から現象宇宙にたどることもできる。両者はどちらも含意するんだ。宇宙がなければ創造者は創造者にならないし、宇宙は創造者が維持しなければ存在できない。創造者は時間の中で宇宙に先立って存在するものではない。そもそも時間の中には存在していないんだ。神様は宇宙を絶えず創造し続ける。神様は宇宙と"共にある"のであって、宇宙の上や背後にいるのではない。これはあなたには理解不能なことだ。あなたは被創造物で、時間の中に存在するんだから。でもいずれあなたは創造者の元に戻り、そうなったらあなたも再び時間の中に存在しなくなる

         (フィリップ・K・ディック『聖なる侵入』p.226-7)

  こちらは『聖なる侵入』からの引用です。作中の人物が"わたしたち"よりも低次元の存在であることを示す、わかりやすい文章だとおもいます。

 

ハーブは言った。「それは現実世界を見る方法の一つだよ。隠された方法。夢見のような方法。眠りのような方法。世界の性質が知覚的な変化を被る。実際には、変わるのは知覚であって、世界じゃない。”変化はオレたちの中にある”

          (フィリップ・K・ディック『聖なる侵入』p.306) 

 こちらも『聖なる侵入』から。VALISは世界観を変える、と前述しましたが、それを補強する言説です。"世界観"とは、世界を捉える感覚のこと。変化する因子は、既にそれぞれの中に

 

時間の超越と携挙

  では、『ヴァリス』三部作と『Everybody's Gone to the Rapture』に於ける"神様"について確認したところで、次は携挙について見てみましょう。

携挙とは、大辞泉によると、

けい-きょ【携挙】

キリスト教、特にプロテスタントの信仰内容の一。イエスの再臨のときに、敬虔であった全ての死者が蘇り、生きている信徒とともに天を昇ってイエスと出会い、永遠の命を得るというもの。

これを『Everybody's Gone to the Rapture』の内容に当て嵌めて考えると、"光"に触れ、吸収されることが「携挙」だと言えるとおもいます。さて、それを念頭に置いて次の引用を見てみましょう。

「あたしにも説明してくれたけど、でも死者は予知能力を持つのよ。かれらは時間の外にいる。だからこそ死人の例を復活させて、未來についての助言を得ようとするんだわ。死者は未來を知っている。死者にとって、未來はすでに起きたこと。神様みたいなもんなのよ、すべてを見る。」

 (フィリップ・K・ディック『ティモシー・アーチャーの転生』p.257)

 これは三部作の最後、『ティモシー・アーチャーの転生』からです。 『Everybody's Gone to the Rapture』では、"生きている信徒"も、かつて亡くなったメアリー、エドワードや、スティーヴンの爆撃によって命を落とした"死んでいる信徒"も、皆「携挙」します。一足先に現世の理から外れた死者たちは、"光"、即ち"わたしたち"と同等の叡智を持っている、というわけですね。

 

「そして我々を救うためにヴァリスが構築された。これは不現実の世界なんだ。それはもちろんわかってるよな。ヴァリスがそれを君に気付かせた。我々は生きた迷路の中にいるのであって、まるで世界の中にいるわけじゃないんだ」

みんながこれを考える間、沈黙があった。

「じゃあ迷路の外に出たら何が起こるんです?」とケヴィン。

時空間から解放されるんだ。時空間は迷路の拘束とコントロールの条件だ―――迷路のもとだ」とミニ。

ファットとぼくは顔を見合わせた。これはぼくたち自信の憶測とも一致していた―――その憶測もヴァリスに仕組まれているのだ。

「そうなればぼくたちは死ななくなるんですか?」とデヴィッド。

「その通り」とミニ。

 

              (フィリップ・K・ディックヴァリス』p.323-4)

 『ヴァリス』からです。VALISは作中の人物たちに、彼らが生きるのは"不現実の世界"であることを気付かせ、時空間からの解放を促します。これが『ヴァリス』三部作のテーマであり、『Everybody's Gone to the Rapture』のテーマでもあります。

 

Sed per spiritum sanctum dico; haec veritas est. Mihi crede et mecum in aeternitate vivebis.

ぼくのラテン語はたぶんへたくそだが、なんとか言いたいのはこういうことだ。「だがぼくは精霊の手段を通じて語る。これは事実だ。信じなさい、そうすれば君はぼくと共に永遠に生きる」

           (フィリップ・K・ディックヴァリス』p.362)

キリスト教に造詣が深い方ならピンとくると思いますが、"精霊"というのも"神様"を指します。

 こうして、『ヴァリス』の最後にも、「ひとつになる」「共生」というテーマが示されるのです。

 

最後に

 フィリップ・K・ディックの『ヴァリス』三部作から、『Everybody's Gone to the Rapture』に関係しそうな部分をほぼ全て抜き出し、絡めて考えてみました。なかなか実りある考察となったのではないか、とおもいます。

 ここまでお付き合いありがとうございました。正直、今回の記事は書くのがかなり大変でした。そもそも、『ヴァリス』三部作を読み込むのが大変です。トータルで1260ページくらいあります。この掴み所の無いヘンテコな『ヴァリス』という物語を咀嚼し、解釈し、アウトプットするというのは、かなり神経を使いました。又、この記事自体1万字超あり、書くのもなかなか時間かかりました。しかし、実によい頭の体操になりました。楽しかったです。

 

 これにて、取り敢えず『Everybody's Gone to the Rapture』の考察記事は終わろうかとおもっています。今まで書いてきた考察記事5つで、大枠の謎は解いたのではないかと感じるからです。しかし、例えば、公式が追加で出してきた数字暗号(考察記事1の「暗号解読」のやり方では解けない)や、スティーヴンの私物である書籍一覧、壁に書かれた数列の解読……などなど、あと他にも細かい謎は残っているので、余力があれば着手するかもしれません。尚、わたしはほんとうに数学ができないディスカリキュアなので、最後の数学的な部分だけはわたしの能力では不可能です。どなたか、数字に強い考察勢の方にこの謎を解いて頂ければ……と熱望しております。宜しくお願いします。

 『Everybody's Gone to the Rapture』は、日英全ダイアログを打ち出すところから始まり、参考文献として分厚く難しいダグラス・ホフスタッター氏の『METAMAGICAL THEMAS』、『ヴァリス』『聖なる侵入』『ティモシー・アーチャーの転生』と、かなり重たいものを四冊読み、作中BGMの歌詞を翻訳し、考察もガッツリ5記事書くなど、かなりやり込んだとおもいます。1ゲームとして大好きな作品ですし、個人的に1, 2 を争うほど考察をやり込んだゲームと言って良いかもしれません。ほんとうにお世話になりました。『Everybody's Gone to the Rapture』、ほんとうに良作です。後世にまで語り継ぎたい。

 制作元のThe Chinese Roomさんは、前作『Dear Esther』からのファンで、大好きなゲーム・ディベロッパーです。いくら忙しくても、The Chinese Roomさんが新作を出したら考察を書こうとおもっています。しかし、一度会社を解散されたらしくて、失意の底にいたのですが、なんと、次回作の予告が……。

  "Little Orpheus"! 個人的にアポロ計画など最初期の有人宇宙飛行計画のエピソードが大好きなので、もう今から期待しかないのですが……! 発売が待ち遠しすぎます。出たら考察書きますね。

 

 さて、長くなりましたが、『Everybody's Gone to the Rapture』考察を終了したいとおもいます。重ねて、お付き合いありがとうございました。とても楽しかったです。疑問、反論、コメント等ありましたらお気軽にお寄せ下さいませ。それでは!