世界観警察

架空の世界を護るために

『シェリ』『シェリの最後』のクロノロジー - 検証・考察

 こんばんは、茅野です。

大学の前期成績表が帰ってきました。AAが4つ、Aが3つ、Fが3つ御座いました。どこに行っても極端なのがわたくしであります。「並」とは縁がありません。得意か不得意、いずれかなのであります。ちなみに落としたのは全て必修及び選択必修です\(^o^)/

 さて、文学史の成績はよかったので、提出論述の内容の一部を投下しようとおもいます。教授から許可は得ているので、たぶん大事にはならないと信じています。たぶん。

 

 テーマとしてはコレットの『シェリ』『シェリの最後』を選んだのですが、最後にクロノロジーの検証をやってみました。考察・検証班の大得意分野です。普段からこういうことをやっているので任せてくれ! というかんじですね。というわけで今回の議題は「シェリ』『シェリの最後』に於けるクロノロジーの検証」です。

 

 

故意か過失か―――作中の矛盾

 『シェリ』及び『シェリの最後』を流れる時間について、作中の登場人物の言は乱れており、整合性がありません。全ての情報を組み合わせると、ずれが生じています。順番に見ていきましょう。

 

シェリ』のクロノロジー

 『シェリ』冒頭の地の文からは、物語が1912年6月であることが読み取れます。その段階に於いて、レアは49歳です。次いで、自らの紹介によってエドメが18歳であることがわかります。このことはマダム・プルーの

「マリー=ロールがエドメを生んだのは1895年、いえ、94年。(後略)」

     (コレットシェリ』河野万里子訳(光文社古典新訳文庫) p.36から抜粋)

という台詞からも補強されます。尚、エドメの誕生日は1月15日です。


 次にノルマンディでの初めての夏の回想が挟まれますが、これが1906年8-9月です。この時にシェリが19歳であることがわかります。シェリとレアの関係が6年間であることは作中何度も強調されますが、これは1906年から1912年を指すことがはっきりしますね。
 であれば、1912年のシェリは25歳であることになります。これは本人も発言する通りです。故に、誕生日によっては多少変動しますが、レアとシェリの年齢差は24歳となります。ちなみに光文社古典新訳文庫の『シェリ』の帯には、

わたしの彼は、24歳年下。

とありますね。そのソースはここにあります。


 次のヒントは、シェリエドメの結婚についてです。

 「10月26日―――シェリが結婚してから、ちょうど1ヶ月……」

                      (同上 p.114から抜粋)

というレアの台詞からも分かる通り、シェリエドメの結婚は1912年9月26日です。

 この10月26日から5日後にレアは旅立つので、これは10月31日となるでしょう。そこから6ヶ月半後に戻ってきてシェリと再会するので、再会は1913年5月とみてよいとおもいます。

 

シェリの最後』のクロノロジー

 『シェリの最後』に移ります。

 冒頭、エドメは「結婚して7年」と発言するのに対し、シェリは、

「7年のはずがない、結婚したのは1913年、現在は1919年である」

     (コレットシェリの最後』工藤庸子訳(岩波文庫) p.19-20より抜粋)

と言います。

 『シェリの最後』冒頭が1919年であるなら、結婚したのは1912年なので、7年経過していることになり、エドメの方が正しいということになります。


 次の、シェリの視点と近い地の文では、

「24歳の時の姿、30歳のシェリ

                         (同上 p.31より)

という言葉があるように、現実の年とは少しずつずれています。言うならば結婚当時の25歳と現在の年齢である31-2歳という方がしっくりくるはずです。

 思うに、レアが49という数字に捕らわれていたように、シェリはレアと過ごした年数である6という数字に囚われているのではないかと考えることができるのではないでしょうか。そのことに引き摺られて、結婚して6年だと思い込んでいる節があると考えられるのではないでしょうか。


 次いで、シェリが戻ってきたのは1918年12月に負傷してのことだったことがわかります。その前のデスモンの台詞から、話は大体1919年6月辺りであることがわかるので、戻ってきてから6ヶ月程度経過していることになります。ここでもまた"6"という数字が登場します。


 問題は次の「4年の間、彼はレアのことを考えなかった」という記述です。

一瞬、「7年では?」と考えてしまいますが、大戦の始まりが1914年8月なので、そこから1918年12月までと考えると4年という表記には納得がいきます。

 しかし、ここではシェリが戻ってきた時よりも、「4年間」の終着点となる1919年7月とした方がしっくりくるため、シェリが1年間違えていると考えた方が無難だろうとおもいます。ところで、シェリは最初期から出兵していたのでしょうか。もしかしたら、あのマルヌの戦いなどに参戦したのかもしれないですね。


 エドメとシェリの会話では、シェリの計算によると、1919年7月から遡って5年間レアに会っていないことになっています。

シェリは「戦争前にレアに会いに行った」と言っているので、シェリ』最後の感動的な再会と別れの後にも二人は会っていることがわかります。

しかし、他の箇所ではレアに会っていないのは5年ではなく「3年か4年である」 と、食い違った発言をしており、どうも、シェリの計算は信用出来なさそうです。『シェリ』に於いて、“シェリは計算が速くて正確である”ということがレアの視点から示されているので 、これはなんとも皮肉なことではないでしょうか。センシティヴな問題だと、シェリの脳味噌も鈍ってしまうのかもしれません。なんと人間的な。

 又、シェリはレアの年齢を60歳前後だと思っているようですが、恐らくは56歳ですし、シェリ自身の年齢も30歳としていますが、正しくは32歳であると思われます。


 最大の矛盾は最後です。シェリは1919年10月31日まで生きていることになっているにも関わらず、“最期”は9月であるとしています(同上 p.195,197より)。これでは最早何が正しいのかわかりません。コレットの単純な間違いであるのか、それとも何かしらの意図があるのか不明ですが、故意なのだとしたらこの差異にどのような意味があるのでしょうか。考えてみましょう。

 例えば、『シェリ』に於いてレアがシェリを置いて旅立ったのが1913年10月31日なのは、どうでしょう、奇妙な一致ではないでしょうか。フレデリック・プルー”も、“シェリ”の殻を脱ぎ捨てたかったのでは……と、考えられないでしょうか。
以上でクロノロジーの検証を終了します。

 

まとめ

 ちょっとごちゃごちゃしているので、見易くしてみましょうか。ということで、年表を作成してみました。ご査収ください。

 

1863年 レア誕生)

(1887年 シェリ誕生)

(1894年1月15日 エドメ誕生)

 

1906年 シェリとレアの"関係"が始まる

    8-9月 ノルマンディでの夏の休暇 :シェリ19歳

1912年6月 『シェリ』物語冒頭 :シェリ25歳

    9月26日 シェリエドメの結婚

    10月31日 レア、旅に出る

1913年5月 レアとシェリの再会

 

1918年12月 シェリ、大戦から帰還

1919年7月 『シェリの最後』冒頭 :シェリ31-2歳、レア56歳

    9月~10月31日(?) シェリの死

 

最後に

 個人的には、シェリの"最期"以外はわざと時系列を乱して書いているのではないかとおもいます。というのも、"乱れ"が生じているのは、シェリの視点で書かれた場面のみだからです。計算がはやく正確なシェリも、個人的な感情には打ち勝てなかったと見えます。こういうところにも、「心理小説」の緻密な設計が伺えそうです。だいすき。

個人的には、高校の頃レールモントフの『現代の英雄』の日記の日付について考えるのが大好きでした。山路明日太先生を心の底からリスペクトしています(※当該部についての論文を複数書いていらっしゃる先生です)。

 又、当時は勿論スマホやパソコンでスケジュール管理は行えませんし、シェリの性格からして日記をつけるようなタイプでもないでしょうから、記憶が曖昧になることにも頷けます。

 それでは締めさせて頂こうとおもいます。『シェリ』、好きなので読了された方は感想是非教えて下さいね。それでは~。