こんばんは、茅野です。
早速ですが、今回の記事では『オネーギンの旅』を訳してきます。
皆様は『オネーギンの旅(Путешествие Онегина)』をご存じですか。『エヴゲーニー・オネーギン』の作者である詩聖アレクサンドル・プーシキンが没にした、『オネーギン』第7章~第8章の間の物語です。
元々プーシキンはこの『オネーギンの旅』を第8章にあてる予定だったようです。
没にした、とはいっても原稿が残っているんですよね。であれば、当然読みたい!ということで、探しました。
邦訳は小澤政雄先生の訳などが存在しますが、絶版にて入手困難。
↑ これに入っています。
わたしは無学にしてロシア語がわからないので、英訳を探したのですが英訳も絶版。
インターネットでイギリスの古本屋に一点見つけたので問い合わせたところ「手数料が高いから外国に送るのはイヤ」。メールで粘り強く交渉を続けて購入しました。結構たいへんだった!
それがこちら。
今回はこのチャールズ・ジョンストン英訳を用いて日本語へ訳していきたいとおもいます。ナボコフ英訳も参考にしています。訳注を独自に付け、灰色で記します。
ロシア語→英語→日本語となるので、勿論重訳になります。英語科を卒業して以来英語力も下がっていて自信がなかったので、最後に木村先生の訳を参考に整えました。
訳はふつうに現代語散文訳です。韻文訳が出来るひとはどうかしている……(最大級の賛辞)。
元は韻文小説・長詩なので、ちょっと意味の繋がりが不明瞭だったりするところもあります。ご留意を。
それでは参りましょう!
- I-VIII
- IX
- X-XI
- XII
- XIII
- XIV
- XV
- XVI
- XVII
- VXIII
- XIX
- XX
- XXI
- XXII
- XXIII
- XXIV
- XXV
- XXVI
- XXVII
- XXVIII
- XXIX
- XXX
- 最後に
I-VIII
オネーギンはモスクワからニジニー・ノヴゴロドへ向かった。
IX
―彼の目の前には活気づくマカリエフの定期市が拡がっていた。溢れんばかりの商品が積み重なっている。 (訳注:当時はロシアのコストロマ州の都市マカリエフに定期市があった。)
インド人の商人は真珠を、
ヨーロッパ人は出所の怪しげな赤ワインを持参し、
大草原の畜産家は一列の馬を連れてきていた。
そしてこの地ではカードが盛んで、賭博師の情熱と僅かなイカサマがあり、地主達は流行遅れのドレスを纏った年頃の素敵な娘たちを伴っていた。
全ての取引には、至極一般的な嘘と騒々しさがあった。
X-XI
退屈だ!……
オネーギンはアストラハンへ向かい、そこから更にコーカサスへ向けて旅立った。
XII
彼は誇り高き雄大なトレク川がその急勾配の川底を侵食しているのを見た。
その上では、鷲が滑空し、尊大な牡鹿が頭を垂れて佇んでいる。
崖の陰では、駱駝が寝そべり、チェルケスの馬が飛ぶように駆け抜ける。
遊牧民の丸い天幕が点在し、カルムイクの飼料で羊たちが育てられている。
チェルケス人の大衆が遠くにぼんやりと窺えた。彼らへの道は開かれている。
戦争が自然の障壁を超えてこの地を切り開いたのだ。 (訳注:1817年-1864年のコーカサス戦争を指す。)
アラグヴァ川とクラ川は今、ロシアの天幕をそのいただきに見た。
XIII
だがたちまちに砂漠の小丘はベシュタウ山を押し上げ、緑のドレスを纏ったマシューク山と並んでいる。
マシューク山、癒やしの川の源よ。
魔法の川の流れに、人々が押しかける―――青ざめた腎臓病の患者達や名誉の負傷者、或いはアフロディーテの被害者か。 (訳注:恋の病か、性病であろう。)
奇跡の波の中で、患者達は命の糸を引き延ばさんと縋る。
コケットたちは飛ぶように去った数十年が洗い流されることを願い、
老人たちはせめて一瞬、若返りたいと望んでいる。
XIV
気の毒なかれらの様子に触発されて、
苦い思いを胸に抱いたオネーギンは陰気な水煙のなかで問う、何故おれは胸に銃創がないのだ、何故?
何故、あの税農家のように弱々しい老人ではないのだ? (訳注:当時あった職。その多くが資産家)
何故おれはトゥーラから来たあの議員のように身体が麻痺していないのか?
何故肩に全く関節痛を感じない?
おお、神よ! 若く、強健で、他に何を望もうというのか? だが、退屈なのだ!
オネーギンはその後タウリスへ向かった。 (訳注:クリミアのこと)
XV
―想像までも神聖な土地、
ここではミトリダテスが自害し、 (訳注:ミトリダテス6世のこと。ポントスの王でローマと三度に渡る戦争を繰り広げたが、最期は反乱を起こされ自殺した。)
ピラドゥスとオレステスが争い、 (訳注:ギリシャ神話から。ふたりは強い友情、或いは同性愛関係で知られていた)
そしてミツキェーヴィチに霊感を与えた地。彼は沿岸の断崖で彼のリトアニアを思い出したことだろう。 (訳注:ポーランドの詩人。リトアニア系といわれている。)
XVI
タウリスの沿岸よ、わたしがおまえを初めて見たのは船の上であった。あのときも月の光が朝日に挑戦し、燦然と輝くおまえの姿は美しかった。
青く澄んだ空を背にして、尾根が光っている。
谷が、木々が、村々が、わたしの眼前に拡がっていた。
タタール人たちの小屋の間で……
なんという情熱がわたしの胸に芽生えたか!
なんという魔法のような燃える恋心がわたしの胸を締め付けたか!
だが、我がミューズよ、過去は忘れてくれたまえ!
XVII
わたしの中に隠され、横たわってた如何なる感情も、今や存在しない。出て行ってしまったか、それとも変わってしまったのか?
昨日までの心の嵐に平和のあらんことを!
かつてのわたしには、砂漠、真珠のような縁の細波、波音、岩山、誇り高き乙女の理想、そして名状しがたい贖罪を超えた心の痛みが必要だった。
別なる日には、別なる夢を―――新たな季節はわたしに新たな視点を与うる。わたしの春は空想に彩られ、わたしはわたしの詩的な杯に水を混ぜ込んだ。
VXIII
わたしに必要なのは別の印象だ。わたしは今、砂丘の斜面、その小屋、二本のトネリコと、小さな門、壊れた囲い、空に浮かぶ灰色の雲、納屋の前の藁の山、密集した柳の木陰、アヒルの子が休息を取る池が好きだ。
今やバラライカと居酒屋の前で繰り広げられる賑やかなコサックダンスがわたしの喜びだ。
わたしは静かに暮らしている。わたしの理想は主婦だ。望むのはシチー、そしてわたし自身の人生だ。 (訳注:ロシアの伝統的なキャベツのスープ。)
XIX
そう昔ではないある雨の日、わたしは牛小屋へ立ち寄った―――
やれやれ!平凡な世間話、フランドル楽派の散漫さよ!
わたしもかつてはこうだったというのか?
教えてくれたまえ、バフチサライの泉よ! (訳注:クリミアに実在する泉。「涙の泉」として知られる)
わたしが沈黙しザレマを心に創造したとき、おまえの絶え間ない水音が響き、そんなことをわたしに考えさせた。…… (訳注:バフチサライの泉に基づく伝説に出て来る女性。伝説を元にしたプーシキンの詩「バフチサライの泉」に出て来るのでそのことだと思われる。)
三年後、わたしの後を追うように同じ地方へ彷徨ったとき、ひとけの無い豪華な邸宅で、オネーギンはわたしを思い出したのだ。
XX
そのときわたしは埃っぽいオデッサに住んでいた。
澄んだ空を掻き混ぜるようにして貿易船の帆が上がってゆく。
そよ風の吐息がヨーロッパを伝え、全てがきらきらと輝き、多様性に富んだ人々が住んでいた。
誇り高きスラヴ人、フランス人、スペイン人、アルメニア人、ギリシャ人、ふくよかなモルドヴァ人、エジプト人の息子の元海賊モラリが歩く陽気な通りに、イタリア人の黄金の舌の演説が鳴り響いていた。
XXI
われわれの友トゥマンスキーが詩でオデッサを表現していたが、彼は当時そこをあまりに情熱的に愛していた。 (訳注:ヴォロンツォフ伯の部下で、オデッサに住んでいた実の人物。1824年にオデッサに関する詩を発表した。)
かれは到着するなり、真の詩人らしくロルネットを掲げながら一人で海岸を歩き、実に魅力的な表現でオデッサの庭園を賛美した。
すべては順調だ!―――しかし、しかし実際には草原は禿げ上がっていたし、幾つかの場所では蒸し暑い日に涼む木陰を作るために苗が植えられていた。
XXII
さて、わたしは読者諸君をどこに置いてきてしまったろう?
埃っぽいオデッサ、と言ったところだったか。
泥っぽいオデッサ、だったやもしれぬ。ともあれ、どちらにせよ嘘ではない。
オデッサでは、乱暴なゼウスの意思により、一年につき五から六週間浸水して泥の中に埋まってしまう。
全ての家屋は七十センチの泥に浸かり、道行く人々は竹馬なくして安全に歩を進めることも適わぬ。
馬車も人も沈んで行き詰まり、
ドロシキーは虚弱な馬を解雇して、角の曲がった雄牛に変えた。 (訳注:屋根のない軽装4輪馬車)
XXIII
だが石は金槌に打ちのめされ、この街もすぐに舗道という鋼鉄の鎧を纏うだろう。
しかし、このオデッサにはまだ重大な欠陥が―――読者諸君は如何お考えになるだろうか? 水だ!
このために、われわれは多大な努力をしなければならない……
しかしそれがなんだというのか? たいしたことではあるまい、関税無しのワインの前では! (訳注:当時のオデッサは自由港である)
そして南国の太陽、海……諸君、更に何を望もうというのか?
祝福された土地なのだ!
XXIV
当時わたしは朝の号砲が鳴り響くとすぐに沿岸を駆け下りて海へと向かっていたものだ。
そしてパイプを片手に座り込んで、輝く波を目で追いながら、天のイスラーム教徒宜しく東洋風の珈琲を飲んだ。
散歩の時間だ。カジノはもう開いていて、カップの立てるカタカタという音が響いている。
バルコニーには半分眠ったような係員が箒を手に現れ、ポーチでは二人の商人がただ挨拶のみを交わし合う。 (訳注:玄関先を屋根でおおった所。車寄せ。)
XXV
次第に広場は賑わっていく。
全てのものが活気に溢れ、用があろうとなかろうと、人々は走り回る。しかし、たいていの場合彼らには用があるものだ。
「打算」と「冒険」の子 商人は、艦旗を確認しにゆく。 (訳注:オデッサは自由港なので船の国籍を確認する必要があった。)
馴染みの旗は見えないだろうか?
今日は何がはいってきたのだろう? 待ちかねたワインは入ってきたか?
そして疫病はどうだ、火災は? 飢餓は、戦争は、そういったものはないか?
XXVI
だが用心深い商人たちと違い、われわれが心待ちにするはツァーリグラードの沿岸からの牡蠣のみ。 (訳注:イスタンブールのこと)
牡蠣は? 来たようだ! やったぞ!
若き美食家たちが飛んできて、殻から柔らかな隠者を取り出し、僅かにレモンの雫を振りかけて、 生きながらに飲み込んだ。
議論の喧噪―――そして親切なオトンヌが軽いワインを地下室から運んでくる。 (原注:オデッサの有名な料理店の主。)
時は飛ぶように過ぎ去り、恐ろしき勘定が嵩んでいく。
XXVII
だが、夜の青が増していく。
オペラの時間が迫っている。
ヨーロッパのオルフェウス、ロッシーニの幕が上がる。 (訳注:ギリシャ神話に出て来る吟遊詩人。)
厳しい批判をものともせず、愛の炎の中で、若いキスのように軽やかで情熱的な旋律を紡ぎ出す。
それは黄金のアイのようだ。 (訳注:シャンパンの名前)
しかし、紳士諸君、ド・レ・ミ・ソ……をワインと比較するのは如何なものか?
XXVIII
他に魅力的なものは?
あの詮索するようなロルネットはどうだ?
舞台裏での逢い引きは? バレリーナは、バレエはどうだ?
ボックス席、恋の虜の大軍の中央には目映いばかりに美しい貿易商の若い妻。
彼女はカヴァティーナと懇願と、冗談と世辞との大合唱を物憂げに聞き流す。 (訳注:素朴な性格の短い歌曲。)
彼女の夫は後ろで居眠りをこき、寝言で「フォーラ!」と叫んでは、欠伸をして再び眠りの世界へ落ちていく。 (訳注:ロシア語で"アンコール"。)
XXIX
フィナーレが轟き、観客たちは騒々しい音を立てて劇場から飛び出してゆく。
広場は街頭と星々で輝き、われわれがレチタティーヴォ1を吠えるなか、幸福なアウソニア2の息子たちは陽気なアリアを口ずさむ。 (訳注1:オペラの中の朗読のような部分。)(訳注2:南部イタリアのこと。当時、イタリアの芸術が花開いたため、へたなレチタティーヴォを口ずさむロシア人とアリアを歌うイタリア人を対比し、揶揄している。)
だがもう夜は更けた。オデッサは静かに夢を見る。
あたたかく、静かな夜。
月が空高く昇り、澄んだ光が空を包んでゆく。
沈黙が降り、ただ黒海の波音ばかりが響いていた……
XXX
こうして、わたしはオデッサにいた……
最後に
以上になります、お疲れ様でした!
もう二度と詩の翻訳なんかやらんぞと誓いました。ほんとうに。特にプーシキンなんぞ、難しすぎる。これで韻文訳とかほんとうにどうかしてるとおもいます。
やっぱり翻訳って日本語力が試されるんですよね。語彙力が欲しい。最後に木村先生の訳で答え合わせをして、「これが翻訳家の語彙か……」と敬服致しました。
とはいえ、「自分で訳す」というプロセスを踏むことで、プーシキンが得意とする言い回しなど、色々身についた気がします。有益でした。超たいへんだったんですけど。個人的には、多くの訳注を事前知識だけで付けられたのが時代考証班としての成長を実感できて嬉しかったです。
そして、タイトルが「オネーギンの旅」なのに二回しか出てこないオネーギン氏。まったく! いやでも、プーシキンそういうところありますからね(原作本編参照)。
それでもオデッサの描写は素敵です。いつか聖地巡礼してみたいですね~。
皆様の少しでも理解に貢献出来ていれば幸いです!
それでは!