世界観警察

架空の世界を護るために

映画『マチルダ 禁断の恋』 - レビューと時代考証

 どうも、朕です(史上最高に頭の悪い導入)

改めまして、茅野です!

 

 わたしは普段国際政治の模擬会議(TRPGを思い浮かべて貰うとわかりやすいかとおもいます)をやっているのですが、今年九月の会議では、1914年WWI開戦時のロシア帝国評議会の議場にて、皇帝ニコライ二世役を務めさせて頂いていました。わたしがニコライ2世です(自己紹介)(演技だけです)

 

 ロシア帝国は他国に比べて難易度:ルナティックなので、戦勝を目指しながら国内の革命勢力を押さえつけ、体制転覆と自らの暗殺を防がねばならぬという無理ゲーを体験しました。大変たのしかったです。

会議中、「優柔不断なニコライ2世のままだと普通に無理なので、ラスプーチンピョートル大帝の霊を降霊してもらうしかないのでは……?」と思っていました。キッツい。

 そんな朕(わたし)ですが、映画『チルダ 禁断の恋』を観て参りました!

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↑ タイミングよく「ニコライ2世の愛人の映画が上映される」と聞きつけ仰天しました。

 

 噂には聞いておりましたが、素晴らしい映像美です。エカテリーナ宮殿、マリインスキー劇場と、華の帝政ロシアには目を奪われます。

 その一方で、ツッコミどころも満載です。

「映画に対してそんな野暮な……」という声もありましょうが、わたしはアマチュア時代考証班で、このブログは「世界観警察」です。「作品の情報や考察を発信し、作品の理解に困難を示すファンを助け、深い理解に貢献する」ことが、当ブログのコンセプトです。

よって、気付いた範囲で、時代考証を行うことを当記事の趣旨と致します。

 

……そういえば、昨日当ブログ「世界観警察」は開設2周年を迎えました。今後とも宜しくお願い致します!

 

 

禁断の恋

 副題の「禁断の恋」。帝位継承権を持つ大帝国の皇太子と、世界的プリマ・バレリーナの恋。

なるほど、禁断の恋。しかし、史実では、お互いに「愛人関係」と割り切っており、結婚したいという気持ちこそあったでしょうが、それを実現させようと奔走することはありませんでした。

となれば、わたしはそれこそ、「うたかたの恋」なのかなと感じます。

逆に、『Mayerling』の方は、「うたかたの恋」だとタイトル詐欺ですね。(※原題は『Mayerling』。『うたかたの恋』というのはクロード・アネの小説が翻訳された際の邦題です。)

↑ 現在ハマっているバレエ『Mayerling』。こちらも是非とも観て頂きたい!

 

時系列?

 さて、時系列について見てみましょう。

パンフレットを購入したのですが、その中で監督は「時系列で作っているわけではないのですが~」とあります。事実その通りです。

 まずは作中にあるお召し列車脱線事故ですが、あれぞ正にフィクションに見えますが、こちらは実は史実。アレクサンドル3世帝は怪力で有名なのです!

事故が起きたのは1888年10月28日です。

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↑ 実際の事故の写真。悲惨。

 この画像を見れば実際の事故の際は雪景色ではなかったことがわかりますね。

 

この事故に関しては、『Романовы(The Romanovs)』というドラマで確認されるのが非常にお勧めです。ロマノフ王朝のドキュメンタリー再現ドラマなのですが、YouTubeに英語音声版もあります。

ドキュメンタリーなので創作はなく、非常に勉強になる上、大河ドラマのようになっているので見応えもばっちり。歴史の教科書を読むよりまずはこれ。

↑ 該当シーンは冒頭から。これは第八話。『Романовы』は勉強になるので一時期ずっと観てました。

 

 列車脱線事故だけに少し話が脱線してしまいましたが(?)、アレクサンドル3世の崩御は1894年ですので、事故の後すぐに亡くなったわけではないということがおわかり頂けると思います。事故は死の間接的な要因となりましたが、まさにこれが理由で……というわけではありません。

 

 そしてその2年後、1890年。マチルダと皇太子ニコライが出逢います。出逢ってから二人は急速に親しくなります。

 

 翌年(1891年)、日本人ならばよく知る「大津事件」が起こっています。ニキ皇太子が来日し、日本人警察官に頭部を斬りかかられた暗殺未遂の一件ですね。

ちなみにこの事件の傷跡は生涯消えることがなく頭蓋骨に残っていたことがニコライ2世の遺体が発見された際にわかっています。

 

 1894年、ニキ皇太子はアリックスと婚約。そこでマチルダとの関係は終わります。史実では、特に後腐れはなかったようです。

チルダの回想録にはこうあります。

皇太子と私はしばしば彼の差し迫った結婚、そして私たちが別れなければならないことについて話し合った。

結婚を避けられない義務と認識された上で、彼は指名された候補の中でアリックス大公女を最も好ましく思われ、彼女にどんどん惹き付けられていることを私に隠されなかった。

映画とは関係性がかなり違いますよね。

 

 同年、サーシャ3世が崩御され、皇太子は皇帝に即位します。

 

 ちなみに後に結婚し、作中にも出て来るアンドレイ大公と出会うのは1900年。よって、三角関係というのは創作になります。

アンドレイ大公はマチルダの7歳年下(ニコライ2世の11歳年下)で、マチルダとニキ皇太子の関係があったのはマチルダが20~24歳、ニッキーが24~28歳の頃ですから、アンドレイ大公はまだ少年で、社交界デビューすら果たしていません。

 

 以後は映画のプロットとは関係がないので控えさせて頂きますが、ニコライ2世の日記とマチルダの回想録を交互に見てお互い何を思っていたのか検証するのは非常に楽しいので、当映画に強い関心を寄せる方にお勧めさせて頂きます。書籍は一番下の「参考文献」の欄に纏めておきますね。

 

チルダ・クシェシンスカヤはファム・ファタールか?

 同映画をご覧になった方は、マチルダがとんでもないファム・ファタール(Femme fatale)だと感じられたに違いありません。わたしもそう思います。

但し、それらは少し史実とは異なるということを留意しなければなりません。

 

 例えば、前述の通り、皇太子ニコライとバレリーナチルダはお互いの恋が "うたかた" のものであること、成就することはないことを最初から知っていました。二人の恋愛は本物でしたが、幸運な結末を導けないのは承知の上だったのです。

 又、マチルダの態度が到底全ロシアの帝位継承者に向けられたものには見えなかったと思いますが、史実ではちゃんと立場は弁えていたようなので、こちらは創作と言えそうです。いや、皇太子の愛人になること自体が突拍子のないことかもしれませんが!

 

史実では皇太子と敬語で話し、あまりスキャンダルにならないよう自宅のテラスから馬車で通りすがる皇太子に目線を送るなど、淡い恋愛模様が展開されていたようで、こちらはこちらで美しい恋愛ですよね。よって、人に見られる危険性のあるところで情事などというのは完全に創作ということになります。

 

 細かいことにはなりますが、二人はお互いを「ニキ(ニッキー)」「パンニ」と呼び合っていたようです。作中でニッキーはマチルダを「マーラ」と呼びますが、これはマチルダの愛称です。しかしニッキーはこの呼び名を使っていなかったことがわかっています。ちなみに、日記には「可愛いK(苗字クシェシンスカヤの頭文字)」というような表記が多いです。

 

 さて、その一方で史実でもマチルダは非常に野心家で魅力的な女性だったことがわかっています。ミハリナ・オルシャンスカ氏の瞳はそれをよく表していてとても素敵でした。

 

クラシンスキー女公爵

 わたしが一番度肝を抜かれたのは、マチルダポーランド王位継承権を持つのではないか、と調べ物をするシーンです。

ポーランド分割の話はどこへ消えたんだ……??」という大きすぎる疑問が一点。それから、「何故伯爵が王位継承権を持つなどと……??」というのが二点目。ポーランドの選挙王制の話なのでしょうか? いや、それにしたってとても王位継承権を持つことにはなりません。ここは普通に謎でした。

 

 又、作中マチルダは「クラシンスキー女公爵」を名乗っています。しかし、1890年当時これは不可能だったと言ってよいでしょう。

何故なら、チルダが公爵の称号を得るのはロシア帝国崩壊後、1935年のことだからです

この頃になるとマチルダアンドレイ大公と結婚しており、フルネームで「マチルダ・フェリクソヴナ・ロマノフスキー=クラシンスキー女公爵」となります。

 よって、作中だと「皇后としてやっていくのもワンチャン……!」みたいな雰囲気が出ていますが、それは普通に不可能です。

 

帝位継承

 パンフレットなどにもありますが、ニキ皇太子がマチルダとの結婚を選ぶ場合、皇帝になることは出来ません。貴賤結婚にあたるからです。

 ロシア帝国には1797年にパーヴェル帝によって定められた「帝位継承法」があります。それによると、女性は皇帝(女帝)になれないこと、帝位継承権の順はまず皇帝の長男、それがいない場合は皇帝のすぐ下の弟……というように細かい順番が定められています。

ご存じの通りニコライは皇太子(帝位継承権1位)です。よって、彼が帝位を継ぐことは法で定められた義務です。

 

 しかし、一度例外があったことは事実です。

ニコライ2世の三代前まで遡りましょう。

「デカブリストの乱」というと、聞き覚えのある方が多いと思います。これはニコライ1世が即位する際に生じた乱です。

元々ニコライ・パーヴロヴィチは三男で、皇太子ではありませんでした。即位など思っても居なかったことで、即位してから大分苦労したようです。兄アレクサンドル1世が崩御すると、次に帝位継承権を持つのは次男コンスタンティンです。

 しかしコンスタンティンは即位を全力で拒否。実はこっそりと貴賤結婚をしていたからです。巡り巡って皇帝の座はニコライ1世に……というわけです。

しかしこのニコライ1世、ある意味で統治の才能が抜群(国民にとっては地獄だったと推察します)。「血の皇帝」として恐れられ、非常に保守的な政策を敷きました。

ニコライのその気質を知っていたインテリゲンツィアはその未来を予感し蜂起した、というわけです。

 

 しかしこれはとんでもないレアケース。そんなほいほい「皇帝なんてなりませ~ん」というわけには参りません。彼には元から選択肢などなかったのです。

尤も、ニキのすぐ下の弟ゲオルギーは彼よりも優秀だったようなので、ゲオルギー大公が帝位を継いでいた方が帝国の為にはよかったのかも知れません(早逝してしまいますが)。

 史実でも、愛人マチルダにすら「あなたは皇帝に向いていない」と断言されてしまうニコライ2世、かなしいなあ……。

 

アリックスとの恋

 さて、至る所で「ニコライ2世とアリックスは政略結婚である」というような記述を見ますが、とんでもない!

皇帝も皇后もこの結婚を反対していました。

 ちなみに勿論、マチルダに関しては結婚候補に挙がることはありませんでしたから、そのような資料はありません。ちなみにマチルダと皇后はそもそも史実では面識がありません。初対面がロシア帝国崩壊後です。その際、マチルダは皇后について、

(彼女は)驚くほど美しく偉大な女性で、快活でエネルギーに満ちておられ、ウィットに富んだ会話は見事で、誰からもすぐに好意を向けられるという天資に恵まれていらした。

と回想しています。

 

 何を隠そう皇太子ニキはアリックスにべた惚れだったのであります。

アリックスからは何度も求婚を断られ、忍耐の末の恋愛結婚でした。

ニッキーはマチルダに一途だったのではなく、浮気性というか、二股を掛けていたというか……そんなかんじです。

皆様の夢をブチ壊したことをお詫びしますが、史実なので致し方ない。天のニコライ2世にもプライバシーを公開したことを謝罪しますがこれもう周知の事実なので許されたい。

 

 尚、アリックスとマチルダも面識がありません。

但し、マチルダからアリックスへの嫉妬心は絶大で、

愛しいニキを結婚という手段で私から奪った女性のことは、自分の君主という存在としてしか認める気にならなかった。

と回想しています。なんたる強気! 史実でも強烈な個性を持つのが彼女、マチルダ・クシェシンスカヤです。

 

皇太子ニコライの外見の話

 予告編の頃から思ってましたが、「朕そんな老けてねえよ!!」(by心の中の残滓のニコライ2世)と思ってしまいました。

メイクなどで即位後の写真には似てるんですが、マチルダと恋愛してた頃のニキってこんなかんじですよ。

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↑ そう、若いのである。文字通り王子様なのだ。

 

 皇太子時代は髭も生やしてません。深い色の目が印象的な青年だったそうな。そこのところ、宜しくお願いします。

 

 演技面は非常によかったのですが、基本的に皆さん似てはないですね。特にアレクサンドル3世は「これアレクサンドル帝!?」って思ってしまいました。いや~アレクサンドル帝はもっと威厳とインパクトある巨人であろう。

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↑ アレクサンドル帝は「巨人皇帝」の名で知られる巨漢で、身長は190cm超えです。でも実は、祖父ニコライ一世は2メートルを超えていたのだ……。

 

マリヤ・フョードロヴナ皇后

 お次は「朕のママ」こと、ニコライ2世の母であるマリヤ・フョードロヴナ皇后。

先程マチルダからの印象についても引用しましたが、彼女はとってもチャーミングな女性で、陽気で社交的で、多くの人に愛された女性なので、「めっちゃお姑キャラになってる~!」と思いました。実際、アリックスとは折り合いが悪かったようですが……。

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↑ クラムスコイによる皇后の肖像。彼女は美女としてとても有名でした。

 息子ニコライ2世との仲もよく、ニキはマザコンだったことで知られています。恋の話とはいえ、ここまで反抗するのは驚きですね。

 

 一番印象に残ったのは、後盤のニキとの会話です。

精確な文言は覚えておりませんが、「私はあなたのお父様の兄と婚約していたの。でも彼は病死してしまって、あなたのお父様と結婚したのよ。サーシャ(アレクサンドル3世)にも別の恋人がいた。サーシャは天使だった。私たちが不幸だったとでも?」というような台詞です。

"あなたのお父様の兄" ってそれはつまりニクサ皇太子殿下のことじゃありませんか~! と気付き、一人で猛烈にテンション上がってました。

 ニクサ皇太子殿下(ニコライ・アレクサンドロヴィチ)はアレクサンドル3世の兄で、マリヤ・フョードロヴナ皇后(当時はデンマーク王女ダグマール姫)の婚約者だった方です。

「ロシアの希望」「完成の極致」の異名を持つ非常に優秀で魅力的な超人なのですが、彼にとっても帝国にとっても非常に残念なことに早逝されてしまいました。

 それゆえ、記述や文献も少ないのですが(マチルダ・クシェシンスカヤの回想録である「ペテルブルグのバレリーナ」の巻末の家系図なんかでは最早存在抹消されていて泣きました)、こんなところで出逢えるとは!

「どうやったらロシア帝国は救えるのか」と歴史IFを延々妄想していた際、私が最も魅力的に感じたのが彼が帝位を継承しているIFで、一ヶ月くらいリサーチと考察を繰り返していたので、純粋にめちゃくちゃ嬉しかったですね。

↑ 殿下紹介記事。これが「完成の極致」。

 

謎のオカルト機関

 えっ、あれは……なんですか?(素朴な疑問)

オフラーナ(政治秘密警察)?ですか……? わたしもよくわかりませんでした……。

 

 役者さんの話ですが、この機関に属す人がもしかして、映画『アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語』のカレーニンじゃないかしら、と思ったら案の定でした。同映画、とっても素敵でした……。上映は本日まで(!)なので観ていない方は劇場へ走って下さい。

 

 ちなみにアリックスがオカルト好きだったり、亡き皇帝の降霊を試したり、というのは史実です。事実、アレクサンドル2世(ニキの祖父)時代あたりからそういうのは流行っていました。

 

 もう一点言うとすると、死刑に関してですね。当謎機関、ガンガン死刑にしようとしていましたが()、当時は暴動鎮圧の際など以外あまり積極的に死刑は行っていません。それに、1990年であれば、真っ当に裁判に掛けられていたとおもわれます。謎の権限を持った機関だ……。

アレクサンドル2世が暗殺された時ですら、暗殺者たちを死刑にするべきか否かで大変揉めたくらいです。まあ、上記オフラーナ(政治秘密警察)は暗躍してましたけどね!

 

 暴動鎮圧といえば、ホディンカの惨劇のシーンがありましたね!

まさかこの映画でホディンカが出て来るとは思わず、嬉しかったです(いや、楽しいシーンではないのですが……)。

 惨劇の後、櫓で祈りを捧げるニコライ2世の図は美しいのですが、ホディンカの惨劇の最中皇帝夫妻はフランス大使館主催のパーティに出席しているので、このシーンも残念ながら創作です。

 

 

 時代考証はこんな感じでしょうか?

昨晩初見で一度観たのみなので、見逃している点など多いとは思いますが、取り敢えずわたしが気付いたのはこんなかんじでした。参考になっていれば幸いです。

 

感想雑記

 ここからはちょっとした感想。

なにって、まず、美術と音楽の美しさですよね。帝政ロシア、ほんとうに綺麗(語彙ゼロ)。

尤も、当時だとニコライ2世夫婦の好んだイギリス様式は悪趣味だと思われていたようですが。

 

音楽がわたしも大好きなゲルギエフ氏で!

曲も、『皇帝円舞曲』なんかが使われていて、文字通りすぎるというか、ベタだなぁ~と思いつつ、そういうの好きですよ、わたしは……。

↑ めちゃくちゃ可愛らしい曲ですよね、好きです。

 

 そして、思ったよりバレエシーンが少なかったという印象を抱きました。マチルダ・クシェシンスカヤは伝説のプリマ・バレリーナなのだし、もっとガッツリ踊るかと。というか、観たかったというのが本音ですが。

ニキ皇太子が好きなのは『眠りの森の美女』などだそうなので、是非目の前で踊るシーンとか挿入して欲しかったですね。拡張版とかないんか。

 

終わりに

 長くなってしまいました、通読ありがとうございました。

 

 冒頭でも申し上げました通り、何も「史実至上主義!!!」ということが申したいのではありません。ただ、この映画で起こったことが全てが史実であるわけではない、ということを留意して頂きたいというだけです。

無知や勘違いは混乱を生みますし、特に現実であった出来事の場合、死者の冒涜に繋がりかねませんから。

 

 又、パンフレットにて監督が「歴史考証などしっかりやってきた」と発言しており、それが更にまた混乱を生むのではないかと危惧したということもあります。

当記事では、下記に挙げた参考文献などを元に執筆していますので、基本的に間違いはない(はず)ですが、もしもわたしの方こそが間違っている場合には遠慮なくご指摘ください。わたしもアマチュアですし、この分野(時代考証)に於いては研鑽を積みたいと考えておりますので……。

 作品・そして時代背景の理解に貢献出来ていればこれ以上無い幸せと存じます。

 

 時代考証班的にはちょっとツッコミどころが多すぎるかな()という印象でしたが、この映像美は一見の価値アリと思いますので、是非ご覧になって下さい。

それでは。

 

参考文献

 映画の批評をするために読んだわけではないですが、この映画・記事に関連する私が読んだ参考になる書籍を纏めておきます。

 

ニコライ2世について調べるならまずはこの本から。これを読んでおけばまず間違いありません。

↑ 当人が何を考えていたかを理解するにはこちら。ニコライ二世は筆まめで、その日記は54冊に及びます。こちらは抜粋邦訳版。マチルダに関する記述もありますよ!

↑ 一方のマチルダが何を考えていたかを理解するにはこちら。バレエに関する記述も、時事に関する記述もとても興味深いです。

↑ デカブリストの乱についての一冊。著者の意見が親体制すぎますが、資料としては優秀な一冊です。

ニコライ2世以前、つまり父帝アレクサンドル3世や兄ニクサ皇太子殿下、マリヤ・フョードロヴナ皇后についてなどを理解するならこちら。凄く読みやすく読み物として面白いので凄くお勧めです!