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世界観警察

架空の世界を護るために

原語主義とはなにか

考察 実用

 おはようございます、茅野です。

最近何をしていたかって、あれですよ。翻訳作業。

Childe Harold's Pilgrimage(チャイルド・ハロルドの巡礼)を読みたいと思ったんですけれど、どうやら日本語完訳が存在しないらしいということで。

チャイルド・ハロルドの巡礼(或いは貴公子ハロルドの遍歴)はバイロン卿の長編詩です。

 前々回の記事でも書きましたが、当方はエフゲニー・オネーギンのファンなのでありますが、そこに阿呆かというくらい名前が出てくるのがこちらの作品。

えっプーシキンバイロン好きすぎでしょ」って何回も突っ込むハメになる。どんだけなの。しかも「アルビオンの傲慢な竪琴」とか、一々表現がかっこいい。なんなの。そんなの気になってしょうがないでしょうが!

 読メのフォロワーはご存じかもしれませんが、当方「バイロン詩集」と銘打たれているものは全て既読です。ですから、ちょこまかとした短詩は邦訳見てるんですけど、完訳はないらしい。何故。売れないから? 著名古典作品が売れない日本って国なんなの? そんな教養最底辺の国滅んでしまえば?(過激派)

でも凄い読みたい。どうしようもない。どうする?→自分で訳すしかなくない?

自然な流れですね。まことその通り。

 英語は全く出来ないわけじゃない……けど、中英語を完璧に訳す自信なんか全くないというか、実際無理なわけで。

詩の部分は、まあ、意味はなんとな~くわかる……でも綺麗な日本語に纏まらない、とか。逆に「イアンザに」とか何言ってるのか全然わからん。

 

 諦めるの嫌なので、取り敢えず自己流にCanto 1くらいは手をつけた……けどあっているのかわからないし、難しいし。

もしこれを出版社の方が見ているのならなんとかしてください。ただの女子高生は萌え絵の現代娯楽小説じゃなくてバイロンの長編詩を読みたいって思ってることを知って欲しい。(異端とか言うな)

でもまあこんなマイナーブログ誰も見ていないと思うので、もっとハードル下げましょうよ。そうだよ身の程弁えていこう?

 問題は、私と同じような思想の人間がいるのではないか、ということです。

拗らせたオタクとして通っている私茅野はともかくとして、「邦訳無いのかあ、そっかぁ。しょうがない、諦めよう」って思ってしまう人もいるのではないか?ということです。

そんなの勿体なさ過ぎる!!!!!

 ですから、私が申したいのは、アウトプットの推奨なのです。

マチュアだからなんだよ。自信がないからなんなんだよ。

もし間違っていたら、出来る人がツッコんでくれるでしょう。それでいいじゃないですか。寧ろ、添削してくれてラッキーじゃないですか。

これ誰か手伝ってくれませんか」って言うだけでもいいと思います。それが目に止まった人が、助けてくれるかもしれない。同じ思想の人間もいるかもしれない。ネットの海は広い!自分のことを異端だと思っていても、異端は一人だけではないかもしれない!

という淡い希望を胸に、私は言います。「誰かチャイルド・ハロルド訳して下さい」と。

 

 

原語主義とはなにか

 折角なので、真面目な話をしましょう。

原語主義とはなんでしょうか。クルアーンなんかの話題で耳にしますでしょうか。

原語主義とは、その名の通り、「それが書かれた言語で楽しもう」ってことです。

多言語主義との重複する部分があるでしょうか。

"世界観警察"は間違いなく、それです。世界各国の言葉をマスターしないとやっていけない、原語主義者の気質がある。

 でも、こんなお堅い言葉じゃなくとも、例えば映画を見ているとき、「吹き替え版のコレジャナイ感」みたいなのにブチ当たったり……なんて経験はないですか?

それがまさしく原語主義です。

私はオネーギンの映画版で、オネーギンが英語で"I love you."って言っているのを聞くのがしんどいし、Everybody's Gone to the Raptureでスティーブンが「わからないのか!?」って言っているのもしんどい。「なんかちがう、そうじゃないんだよ……」と思ってしまう。完璧な原語主義者です。

 

 言語というのは、一つ一つに、その国や地域の歴史や文化と強く影響しあった切っても切れない縁があります。

ですから、世界の言語を統一しようとか、そういうのは無謀だし、ナンセンスだということなのですね。

 言語が別れている以上、結局頭の中で母国語に置き換えるとしても、それは別によいことなのです。だってそんなこと言ってたら、それは即ち「海外の作品はやるな」ってことになるではないですか。問題は、"その作品"が"その言語"であるということなのです。

 

 当方は、なんだかんだ語学の道を歩んでいるので、翻訳とかそういうのものに大変興味があります。各国の言語の違いとか、そういうのを比較して遊ぶのが大好きです。

前述の通り、原語主義者だからといって、他国に輸出しちゃいけないということではないのです。ただ、理解出来るように、そしてなるべく原語に近くなるように落とし込むのも立派なことです。

原語主義はやはり宗教や国際関係が絡むこともあり、結構複雑な問題を抱えています。

ですから我々に求められているのは、正しい理解なのです。

 そもそもこの言葉は、比較的言語同士が似ている西洋で出現した言葉なのであって、他のどの国の言語にも似つかない日本語がどうこうするような問題じゃないのです。もう日本語が母国語である時点で諦めるしかないのです。日本語万歳!だから翻訳しよう!

日本の原語主義者にとっても、そう言うしかないのです。英語や中国語など、まだ親しみのある原語ならともかく、チェコ語とか出てきたら適わないじゃないですか。日本語訳は理解するのに必要、でも、それより原語の方がよいと。

 思うに、原語主義者の翻訳家というのはきっと存在すると思います。「だからこそ」という意味合いで、です。その気概はとても大事だと思うし、私もゆくゆくはそうありたい。

 

 先の話と絡めますと、他言語で書かれた作品を母国語に直すことは、原語主義という観点で見ても必要である。

そして、それを自分の頭の中で完結させるのではなく、積極的に公開していくべきだ。

 如何でしょうか。我ながら真面目に良いことを言ってしまった感があり恥ずかしいです。

そして何度でも繰り返しますが、チャイルド・ハロルド翻訳してください誰か。お布施をしたいので、やはり出版してくれると嬉しいですね。お願いします。

それでは、あなたの原語主義者ライフに良き邦訳文のあらんことを。