世界観警察

架空の世界を護るために

私流屍者たちの帝国 - オネーギン×屍者の帝国考察

 おはようございます、茅野です。

今回は硬派に、ロシア古典文学エフゲニー・オネーギンから、屍者の帝国と絡めて考えていきたいと思います。

今回の議題はズバリ、「レンスキーは屍者足れるか」です。

 

 

エフゲニー・オネーギンとは

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↑オタクなので色々持ってる

 

 私がロシア古典文学の傑作―――Евге́ний Оне́гин(エフゲニー・オネーギン)に触れたのは、高校1年の2月のことでした。

私はバレエ鑑賞もオペラ鑑賞も好きですが、どちらにもある作品がないか探していたときに、たまたま目に付いたのが切っ掛けです。色々メディアミックスされています。映画もありますが、ファンとしてはあんまりオススメできません……。

 日本では、オネーギンはマイナーですよね。前にTwitterで「エフゲニー・オネーギンを知っているか」というアンケートを採ったところ、悲惨な結果になったのは記憶に新しいです。(悲しい……)。

 ロシア古典文学といえば、まず屍者の帝国にも出てくるカラマーゾフの兄弟や、アンナ・カレーニナを想起する方が多いのではないでしょうか。本場ロシアでは、上記らに負けず劣らずの知名度を誇り、……といいますか、それどころか国民的作品となっているそうです。

著者はアレクサンドル・プーシキンですが、名前くらいはご存じなのではないでしょうか。そして、オペラ版及びバレエ版の作曲者はピョートル・イリイチチャイコフスキー。知らないとは言わせないぞ!

 原作も、オペラ版も、バレエ版もそれぞれ良さがあり、とても面白いです。

原作は韻文小説ですし、描写が細かいので、オネーギンという作品は、やはり媒体として小説が一番適切なのではないかと思います。

オペラ版は、チャイコフスキーが作曲を手掛けただけあり、ロシアオペラの至宝と言えるでしょう。19世紀のロシアの美しい舞台もそれを際立たせます。中でも、レンスキーのアリアはあまりにも有名ですね。

バレエ版は、やはり言葉が一切出てこないこともあって、表現しきれない部分が多く賛否両論ですが、私は大好きです。チャイコフスキーのピアノソロ曲をオーケストレーションした音楽は勿論、原作を知っていると頷ける振り、芝居……。最高です。

古典作品と恐れず、騙されたと思って手にとって頂きたいです。

 

 

では、その古典らしからぬ物語のあらすじを少し細かく書きます。

第一章

フランス語やラテン語を操り、マズルカを華麗に舞い、経済学や哲学の素養があり、銃の腕が立ち、誰からも愛される口の達者さで、その姿はヴィーナスの男装もかくやと思われる美貌を持つ、ライトノベルも真っ青のロシア貴族:エフゲニー・オネーギン

あまりにも何でも出来る超人すぎて、社交界は愚か、人生そのものに飽きを感じていて、18歳にして放蕩三昧の日々を送っています。

そんな中、彼の父は多額の借金を残し世を去りますが、その直後、田舎に土地と富を持つ叔父も逝去し、オネーギンはその相続人となります。そして、華々しき社交界から、田舎の御屋敷での隠遁生活に生活を180度変えるのです。

 

第二章

オネーギンはすぐに田舎の生活にも飽きてしまいますが、ロマン派の若き詩人:ウラジーミル・レンスキーとは意気投合し、親友と呼べる間柄になります。

レンスキーには許嫁がおり、名をオリガ・ラーリナといいます。レンスキーはオリガの幼馴染みであり、昔からべた惚れです。

オリガにはタチヤーナという姉がおり、陽気なオリガとは違い、彼女はフランスの恋愛小説などを愛する、インドア派の読書家です。現代でいう夢女子です(たぶん)。

 

第三章

親友レンスキーがオリガ厨すぎるので、オネーギンは一目そのオリガとやらに会ってみたくなります。

こうして、オネーギン、レンスキー、タチヤーナ、オリガが顔を合わせることになるのですが、タチヤーナはオネーギンに一目惚れ。当のオネーギンは、恋愛にも飽きていたので、「オリガだったらタチヤーナの方が好みかな」という程度。

タチヤーナは初めての恋に、恋文をしたためます。

オペラ版では、ここでタチヤーナのアリアが歌われ、バレエ版では有名な鏡のパ・ド・トゥが踊られます。(鏡のシーンはバレエ版オリジナルです)。

 

第四章

暫くしてラーリナ邸を訪れたオネーギンは、タチヤーナに手紙の返答をします。

その燃えるような恋文は、彼に昔の純粋な頃を想起させ、胸を騒がせるのですが、飽きで心がダメになったオネーギンの答えはNO。

「令嬢がこんな大胆に気持ちを吐露するのは恥ずかしいことなので慎みましょう」とお説教をします。これがオペラ版オネーギンのアリア:「Vy Mne Pisali」です。(ヒドい歌詞だ!)

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↑"オネーギンを演じるために生まれてきた"と言われるほどはまり役として有名なディミトリー・ホロストフスキーの「Vy Mne Pisali」。

 

バレエ版では、言葉でそれを伝えることが出来ないため、タチヤーナの手の中で恋文を破り捨てるという暴挙に出たりします。クズ力の高いバレエ版オネーギン。

オペラ版、バレエ版ではここまでで1幕です。

 

第五章

タチヤーナの名の日の祝いの席。名の日の祝いとは、簡単に言うと誕生日パーティのようなものです。そこに、レンスキーとオネーギンも招待されます。オネーギンは気乗りしませんが、祝いの席だというのでレンスキーと赴くことにします。

タチヤーナに祝いの言葉を掛けるオネーギンですが、彼を見たタチヤーナは半泣きで、失神しそうになります。

それを受けてオネーギンは堪忍袋の緒が切れます。(まあ確かに、勝手に恋い焦がれられ、振った少女に再会したら勝手にビビられた……とあっては、気分を害すのも頷けない話ではないですね。)

気分を害したオネーギンは、レンスキーをからかって遊ぶことにします。ここから、物語は急速に悲劇への道を邁進します。

祝いの場は舞踏会になり、オネーギンはレンスキーの許嫁たるオリガをワルツに誘います。オリガはそれに乗り、レンスキーを尻目にオネーギンと踊り始めます。調子に乗ったオネーギンは彼女の耳元で愛を囁き(※悪ふざけ)、彼女も頬を赤らめます。

それを見たレンスキーは嫉妬に我を忘れ、激怒し、決闘を決意します。

ちなみにバレエ版では、ここでレンスキーがオネーギンに白手袋を投げつけ、決闘を申し込みます。(原作では決意するのみ。)

 

第六章

翌朝、ザレーツキィという男がオネーギン邸を尋ねます。その手に、レンスキーからの果たし状を携えて。

オネーギンは「しくった、やりすぎた……」と後悔するわけですが、当時のロシアでは、決闘から逃げることは何よりも恥ずべきこととされた為、やむを得ずその挑戦を受けることにします。(武士の切腹みたいなもんでしょうか)。

決闘の日、レンスキーはオネーギンを待ちながら、辞世の句を詠います。これが、オペラ版でもっとも有名なレンスキーのアリアKuda, Kuda (青春は遠く過ぎ去り)」です。

そうして18歳の詩人と19歳の哲学者は決闘に挑むわけですが、前述の通り、オネーギンは銃にも長けているので、詩人が適うわけもなく、その短い生涯を閉じるのでした。

オネーギンは何でも出来る超人ですが、心だけはまだ若く、自ら親友を殺めてしまったことを深く深く後悔するのでした。

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↑三大テノールの一人:プラシド・ドミンゴの「青春は遠く過ぎ去り」。ロシア薫る、センチメンタルでメロディックな名曲です。

オペラ版、バレエ版共にここで第2幕が幕を閉じます。

 

第七章

婚約者の死にオリガは心を痛めましたが、すぐに他の男に絆されて結婚します。

一方のオネーギンは、良心の呵責に耐えられなくなり、実に6年も放浪の旅に出掛けます。

タチヤーナといえば、そんなことがあっても未だオネーギンを忘れられず、もぬけの殻となった彼の屋敷に赴きます。

彼女はオネーギンの読んだ本についた短評を見たりして、エフゲニー・オネーギンという男を理解します。

いつまでも嫁に行かない娘を危惧したラーリナ夫人は、結婚相手を見つけるために娘をモスクワの花嫁定期市へ連れて行きます。そこで出逢った公爵とタチヤーナは結ばれます。

オペラ版、バレエ版では、第七章は大幅にカットされています。(まあ確かに、ずっとタチヤーナ一人だし場が持たないのでしょうね。)

 

第八章

放浪の旅にも飽きてしまったどうしようもない我らが主人公:オネーギンは、再び社交界へと戻ってきます。

そこで彼は美しい貴婦人を見つけます。彼女の名はタチヤーナ。

久々の再会を果たす二人ですが、人妻となったタチヤーナは気品に溢れ、若き日に見せた動揺など一片も感じさせず、穏やかに彼と向き合います。その様に気圧されたオネーギンは、なんとそこでタチヤーナに惹かれてしまいます。

立場が逆転したオネーギンとタチヤーナ。彼は何通も熱烈な恋文を書き続けます。

タチヤーナは第七章の通り、まだオネーギンに気があります。しかし彼女はもう少女ではなく、気の強い立派な女性に育っていました。

自分の感情を捨て、貞淑な妻として生きていくことを選び、泣きながらオネーギンを追放します。幕。

 

 

私自身がファンなので、つい長々と書いてしまいましたが、もし私の書いたあらすじから、少しでもいいなと思って原作を手にとって貰えたら、何よりも嬉しいです。

エフゲニー・オネーギンはとても人間臭い物語です。

才能に恵まれながら、傲慢で繊細なオネーギン。憎まねばならぬ対象でありながら恋い焦がれ続けたものの、最後は自らの強い意思で倫理を守ったタチヤーナ。愛のあまり、親友に決闘を申し込み、そして散ったレンスキー。婚約者が死しても、他の男と結婚し幸せに暮らしたオリガ。

誰にでも感情移入することが可能です。

また、社交界の様子や、決闘を断れない倫理観など、19世紀のロシアの実情を垣間見ることが出来て、"世界観警察"と致しましても大変おいしいです。オペラ、バレエ版では、舞台背景も美しいですしね。

 

さて、私としては愛する作品の宣伝が出来たところで割と満足しているのですが、当ブログ:世界観警察は考察に特化していることですし、折角なので色々考えてみましょう。

単なるにわかの若造たる私には、古典文学を深く考察する器量はないので、屍者の帝国と絡めて考えていこうと思います。

 

 

屍者の帝国との関連性

 

私が屍者の帝国を知ったのは、エフゲニー・オネーギンを知った丁度1年後のことです。

劇場版がそろそろDVD化されるということで、それに関する広告が多く、目を引いたのがきっかけでした。

私は、ロボットとか死体とか、そういう生命体と非生命体の境目に踏み込んだトピックは大好物なので、お恥ずかしながら速攻でハマりました。

また、私は"世界観警察"です。私的な好みですが、クロスオーバーものは世界観を冒涜しているように思えて苦手です。しかし、屍者の帝国では、「屍者のいる世界」で世界観を統一し、有名な小説の人物や、実在の人物が登場します。どちらかというと、スターシステム寄りです。更に言えば、著者の円城塔氏は翻訳者であることもあって、時代考証が呆れる程忠実です。感動するレベルです。ここまで細かく、正確でたまるか!

 

 私は屍者の帝国を知る前からオネーギンのファンだったので、最初にあらすじを見た時に思ったのが、「なんでオネーギンじゃなくてカラマーゾフなんだろう」ということでした。(カラマーゾフの兄弟も傑作です)。

まあ普通に考えて、日本での知名度を考えたエンターテインメント性と、時代であろうとは思います。

でもそれだけでは終わらないのが私茅野です。不可能じゃないなら考える。

公式アンソロジー「屍者たちの帝国」では、ドストエフスキーの「白痴」や、ドイルの「空き巣の冒険」「まだらの紐」、森鴎外の「舞姫」などと関連づけて、屍者の世界を盛り立てています。

これを読んだポンコツ考察勢は考えた。「だったらオネーギンでも出来るだろう」と!

以後は、割と真面目に考えたものなので、いつか誰かが小説化してくれると願っています。フリー素材です。でももし本当に完成させたなら、ファンたる私に教えて下さい。

 

 

レンスキーは屍者化可能か

 

結論から申し上げます。恐らく可能です。

屍者の帝国と関連づけて考えようと思い立ったとき、レンスキーが散っていたことは私にとって幸運でした(おい)。

屍者の帝国に彼らを送り込むとき、重要なのは、何をおいてもまず、屍体ですからね。

 

大真面目に根拠を述べます。

屍者の帝国世界において、ザ・ワンが誕生したのは1809年です。ちなみに、原作フランケンシュタインだと、17xx年になっている為、北極海で"2度目の生を受けた"のが1809年だと類推できます。

ルナ教会の支配下にあったとき、ザ・ワンは既に屍者に興味を示しています。ルナ教会が活動停止するのは1813年のことなので、少なくともそれ以前に屍者が存在したことになります。

ルナ教会の本拠地はイギリスですし、ウォルシンガムに務めていたこと、ビーグル号の出発地はイギリスの都市プリマスであることなどから、ザ・ワンがイギリスにいたことは明らかです。

ロシアの解析機関イヴァンが何年頃から始動しているかはわかりませんが、ヴァン・ヘルシングが「全世界八機との演算リンクは確立している」と発言しているため、イギリスの解析機関チャールズ・バベッジとそう変わらないと推測します。

つまり、1813年頃、ロシアに屍者がいた可能性があります。

 

次に、オネーギン側の年表を確認します。

レンスキーが亡くなったのは1821年のことです。ちなみに彼は17歳でした。

つまり、レンスキーを屍者化出来る可能性は十二分にあるのです!

これは、勝ちましたね。(何に?)

まあ、屍者の帝国のメインストーリーは1878年からですから、本編に出すにはやはりカラマーゾフが理に適っていたのでしょう。

でも全然チャンスはありますので、屍帝ロシア組ファンの方や、屍者たちの帝国2なんかがもしあるとしたら、是非、是非ともエフゲニー・オネーギンに目を向けてやって下さいお願いします。時代考証とか面倒くさい部分は全然私に投げてくれて構わないので(必死)

 

 でも、もし、仮にこのオネーギン×屍者の帝国のストーリーを書くとなったとき、どのようなストーリーになるのでしょうか?

まず、オリガがすぐに他の男性と結婚することはなくなるのかな、と思います。目に見える形でそばにいたら、絶対後ろめたさが増すと思うので……。

それから、8年に渡るオネーギンの放浪の旅も、変わってくるはずです。もしかしたら、変人と名高いオネーギンですから、レンスキーの屍者を連れ添ったりするかもしれません。第二のワトフラたれる可能性がありますね(劇場版遵守)。

……そんな感じで、色々歯車が狂い始めるかと思います。これはこれで面白いんじゃないでしょうか。だめですか。

書いていて、名作を穢しているような気がしてなんだか猛烈に申し訳ない気持ちになってきたのですが、これは大丈夫なんでしょうか。気分を害された方がいらっしゃったら土下座しに行きます。愛ゆえの奇行なんです許して下さい。

まあ、屍者の帝国及び屍者たちの帝国は、名作のキャラクターたちが大集結しているので、大丈夫かなと思ってこんな記事を書いたわけなのですが……。読者の方々もそこらへんには寛容であると私は信じています。

 

 

最後に

 

予想に反してめちゃくちゃ長くなってしまいました。通読お疲れ様でございました。

この記事を読んで、「エフゲニー・オネーギンって面白そうだな」とか、「屍者の帝国と絡めたストーリーはワンチャンあるな」とか思って頂けたら何よりも嬉しいです。

それでは、オネーギンファンが増えると願って。