世界観警察

架空の世界を護るために

バレエ・シャンブルウェストさんの「タチヤーナ」について

 ご無沙汰しております。茅野です。

夏は忙しかった! 八月はサークル活動一色でありまして、朝から晩まで国際情勢研究にどっぷり浸かっておりました。九月は、ロシアへの旅に出かけ、我らが帝政ロシアの世界を肌で感じて参りました。

ロシアでの旅については、こちらでも纏めるのもよいかな、と思っております。といいますのも、何を隠そうプーシキンレールモントフチャイコフスキーなど、愛する帝政ロシア文化の博物館巡りに勤しんでおりまして、現地でしかお目にかかれない資料を多数脳内に収めたからであります。気長にお待ち下さいませ。

 

 さて、今回は、先日バレエ・シャンブルウェストさんの「タチヤーナ」を拝見させて頂いたので、これについて述べようとおもいます。

あまり舞台についてのレビューを書いたことがないものですから、お見苦しいものになったら申し訳ないです。

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↑ポスター。シックでお洒落。

 

 偉そうなことを長々と書く前に、軽く自己紹介を致します。「おまえ、何様?」ってお話ですからね。

当方は一介の学生でございまして、フランス語を専攻しております。言わずと知れたオネーギン限界オタクであり、論文などの資料を探してきては付箋をべたべた貼ったり、マーカーで真っ赤にしながら読み込むのが趣味であります。言語問わず、英語、フランス語の資料は読みますが、まこと恥ずかしながらロシア語に関してはサッパリという体たらくで、今後の学習課題としております。

当然、ただの趣味の範囲内なのでありますが、オペラに関しては父がチェリストでありますので、そこそこのご縁はございます。私自身はピアノを弾きます。コントラバスを昔ほんの少しだけやっていました。オペラ鑑賞によくゆきます。勿論ロシア・オペラを第一に盲愛しております。バレエに関しては、幼少に10年ほどやっておりましたので、基礎程度は身についているかと自負しております。バレエ現役時代にオネーギンを知っていれば、舞台に立つまでやめなかったんだろうなあと思いつつ。

 ロシアに聖地巡礼にゆくくらいにはオネーギンを限界まで拗らせており、ただのファンとしてはそこそこ語れる方ではないかしらん?と思っております。

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↑言わずと知れたオネーギン限界オタク…ッ!!(全部オネーギンです)(写っていない資料もまだあります)

 

 当方についてご理解頂いたところで、つらつらと書き始めようと思います。お察しの通り、オネーギン限界オタクとして述べます。バレエ経験者でもあるので、そちらの観点から見ることも可能ではあるのですが、実績もないのに批判的になりそうだし、それは私の役目ではないと思ったからです。

会場へは、私が予てより洗脳オネーギンを愛する同志である友人二人と伺いました。

オリンパスホール八王子、とても響きがよいですね。ちょっとびっくりしました。チェロ界の登竜門カサド・コンクールで使用されているので存在は知っていたのですが……。オケピットもあるし、よいホールを見つけたなとほくほくしたり。遠いけど。

当方は当ブログ「世界観警察」の著者であることからも分かるとおり、原作至上主義ですから、「原作レイプしてないか確認してやる~」くらいの軽い心持ちで参りました。

特に、オネーギン原作のバレエに関しては「三大物語バレエ」に数えられるジョン・クランコの傑作「オネーギン」斬新な手法を用いたノイマイヤーの「タチヤーナ」がありますから、「これ以上なにをやることがあろうか?」という気持ちでありました。

 結論として、月並みですが、とてもよかったとおもいます。

オペラ版の楽曲の使用はオペラ「エフゲニー・オネーギン」を愛したクランコの悲願であり、まずそれを達成出来ている点が素晴らしいと感じました。それと同時に、オペラでは原作第一、二、七章が一切取り上げられないことに不満を抱いていた大作曲家のプロコフィエフの心も今この日本で癒やされたのではないか、と感じています。

又、クランコ版と比較した場合、より原作に忠実なのではないかと思いました。

細かく見ていきましょう。

 

構成について

 まず、パンフレットを見て驚いたのは、第一幕が第四場まであることです。これはクランコ版、オペラ版のいずれよりも長く、どうなることかと思いましたが、この演出はよいなと思いました。追加されたのは第一幕第三場、第三幕第二場であり、いずれもオネーギンのソロカットです。時間としてはほんの一瞬であり、クランコ版の幕前での演技に変わる、斬新な手法だと思いました。私は好きです。

 

パンフレットの解説について

 16~17ページを指します。ここではユーリ・ミハイロヴィチ・ロトマンの説が取り上げられていますが、この説には否定的な学説が多いです。

オネーギン作中の年代、キャラクターの年齢については未だに激論が交わされる非常にデリケートな問題です。あまりに重要な問題ですから、ここに関しては後々より研究を重ねた後に記事にしようと考えています。

少なくとも、この説の大きな欠陥は、原作第八章(バレエでいう第三幕)に於いて、オネーギンの年齢は26歳である点です。これは原作で言明されていることで、ここを否定にかかるのは間違いです。他にも、ヒント、キーワードになる点はいくつかあるのですが、本題とずれるので今は捨て置きます。第六章:決闘の後、オネーギンは4年~6年の放浪の旅に出ますから、この段階で26歳とするのは、明確な間違いであると言えます。(※ここも激論が交わされているポイントの一です。)

オネーギンを研究する人間として、この説のみを掲載すると誤解が生じると思い、指摘した次第です。

 又、ストーリー概要(6~9ページ)に関しては、オペラ版の台詞がふんだんに使われていて、いいなと思いました。

 

第一幕 第一場

 イントロダクションでオペラ版のイントロダクションを!

全私と天国のジョン・クランコが泣きました。オペラ「エフゲニー・オネーギン」のイントロダクションは、一気に観客を帝政ロシアへと引き摺り込む、ロマンティックな一曲です。オペラ版においては随所にこのもの悲しく下降する旋律が使用され、謂わばメイン・テーマたる一曲となっています。これが聴けただけでもう幸せなので帰ろうかと思いました。(帰りません。)

 

 ラーリン家に仕える農奴たちの踊り。

こちらはオペラ版第一幕第一場の同じく農奴たちの歌ですね。使用は「Уж как по мосту-мосточку, (小さな橋の上を)」からだったかと記憶しています。

オペラ版を熟知しているオタクに優しいぞこのバレエ!

 又、農奴たちの動きはラ・フィユ・マル・ガルデ(リーズの結婚)のオマージュでしょうか? とても近しいものを感じました。

 

 これは全体的な話にも繋がるのですが、登場人物たちの衣装の時代考証がよいですね。

こちらはЛидия Тимошенко(リディア・ティモシェンコ)という画家の有名なタチヤーナの挿絵なのですが、そっくりではないでしょうか。

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↑原作第三章でのタチヤーナ。かわいい。

 

 ちょっと気になったことですが、「タチヤーナの友人」というキャラクター群についてです。

このオネーギンという作品を用いてグランド・バレエを創作する際、仕方がないものとは思いますが、原作ではタチヤーナに友人がいるような設定は一切出てきません。

当時からして、大地主の令嬢が農奴たちと遊ぶなんてことは考えられるはずがなく、少なくとも隣の村の大地主の令嬢でなくてはなりません。

他方、ラーリン家の隣の村の大地主はかのウラジーミル・レンスキー。そして他に挙げられるのが我らがエフゲニー・オネーギンといった具合。

又、オペラ版では、オネーギンの「このような片田舎で退屈ではないですか?普段は何をしてお過ごしで?」という質問に、彼女は「読書をしたり、空想をしております。空想こそがわたくしの友です」と返しています。

よって、タチヤーナに"友人"という存在が居るのかというのには懐疑的であり、少なくとも頻繁に会う存在は一人も居なかったということが窺えるのです。

 ジョン・クランコは、約一時間半という、バレエ作品にしては短い上演時間に、難易度の高いバレエとストーリーを濃密にぎゅっと詰め込みました。よって、一切退屈することなく舞台にかじりついているうちにフィナーレを迎え、感動のうちに茫然としつつ拍手をする……といった具合になっています。メインキャラクターの心理にフィーチャリングする分、群舞など、物語に直接関係ない部分は限界までそぎ落とされていました。その点、どちらがよいとか悪いということではなく、クランコ版との差別化が図れていたのではないか、と思います。

 

 レンスキーとオリガのPDDの折、我らがタチヤーナとオネーギンが上手側のベンチで紅茶を片手に談笑しているのが印象的でした。

こちらは、二人きりで散歩道へと出かけ、恋心を募らせる原作やクランコ版よりも、オペラ版の四重唱に基づく演出なのかしら、と解釈致しましたが、どうなのでしょうか。

 

第一幕 第二場

 タチヤーナの寝室。全力でTHEロシア正教会!っていう感じのオブジェが良かったですね。原作でもタチヤーナは信心深いことが描写されていますから。

フィリピエヴナが蝋燭を吹き消すと、照明も落ちるという演出、グッと来ました。良かった。

 

 クランコ版でいう、鏡のPDD。こちらでは鏡は使われなかったので、夢のPDDと呼ぶべきかしらん?

こちらはクランコ版の時点で所謂「大人の事情」と言われていた部分です。フィリピエヴナとタチヤーナの二人だけで一場繋ぐのがしんどいのでしょうね…。他方、オペラ版では情熱的なタチヤーナのアリアを聴くことができるわけですが。

そんな訳で、オネーギンと甘いPDDを夢の中で…ってな訳なのですが、こちらは原作第五章のタチヤーナの見る恐ろしい夢を改変したものだ、と見ることも可能で、取り立てて騒ぐような変更ではないのではないか、と思ったりもするのでした。

 さて、夢の精なる新キャラの登場がありましたが、これは原作的視点と言うより、バレエとしてよかったなと思いました。綺麗だった。この演出はありでしょう。

 そして、肝心のPDDですが、楽曲で思わず吹き出しましたよwww

まさかのRomance Op.51, No.5

こちらは、クランコ版オネーギンで第三幕第一場にて、タチヤーナとグレーミン公爵のPDDで用いられる楽曲です。

それが、こちらではオネーギンとの夢のPDD(勝手に命名)で使われているというわけなのですね。なんたるメタ的アイロニーでしょうか!クランコ版を見慣れている我々からしたら、ちょっとしたサプライズですね。ちょっとビックリしました……。

ちなみに、クランコ版オネーギンの楽曲については、過去に解説していますので、参考にしてください。

sylphes.hatenablog.com

 

第一幕 第三場

 まさかのオネーギン邸!!

感動。まさか舞台でオネーギン邸が見られる日がくるとは思っておりませんでした。

でも、ちょっとゴテゴテしていて悪趣味すぎないか?とも思ったり…ww

こちらはオネーギン邸のモデルとなった邸宅の内部なのですが、よかったら参考にしてみてください。

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↑ミハイロフスコエのプーシキン邸。

 

 又、フィリピエヴナの孫に関してなのですが、ちょっと若すぎやしないか?と思いました。

尤も、あまりフィリピエヴナの孫に関して考えたことがなかったので、考えるよい機会を与えてくださって感謝しています。

フィリピエヴナの年齢については触れられていませんが、原作では「物忘れが激しくなってきた白髪頭」とされ、高齢であることが伺えます。

よって、私は勝手にフィリピエヴナの孫はタチヤーナと同年代位なのではないか、と思っていたのですが、そういう解釈もあるのか!と驚きました。

何にせよ、可愛かった。

 

第一幕 第四場

 オペラ版第一幕第三場にあたる部分ですね。

クランコ版では、このシーンを第二幕第一場、名の日の祝いに組み込むという斬新な手法をとっており、話を円滑に進めているのですが、こちらの「タチヤーナ」の方が原作遵守となっています。

よって、この作品もオペラ版と同じ壁にぶち当たっているように思いました。それは、各幕の時間差です。

クランコ版では、各幕が30分で纏まっており、かなり見やすい構成になっています。他方、オペラ版では第一幕のみ第三場まであるため、第一幕80分、第二幕40分、第三幕40分という、第一幕のみ倍の時間が当てられています。よって、観客は第一幕でちょっとダレたと感じたり、体を伸ばしたくなってきたりするものですが、原作を遵守する上では仕方なかったともいえます。

どちらがよいではなく、ここも上記と同じようにクランコ版との差別化に繋がっているのかなと思いました。

 

 オネーギンがタチヤーナにお説教するシーン。

原作やオペラ版では「私はあなたを兄のような愛で愛しています」とやんわりと断るオネーギンですが、クランコ版ではびりっびりに手紙を引き裂くという極悪人っぷり。

して、この「タチヤーナ」はどうかというと、手紙を突き返し、タチヤーナの手の甲にそっとキスをして立ち去る、と言うもの。

やっぱりそれが正解だよなぁ!?www

クランコさんは過激だと思います。盛り上がるけどね。私は好きだけどね。

 

 各幕で思ったことなのですが、この「タチヤーナ」は、幕切れがどうも中途半端で、「ここで拍手してもよいのかしら…?」という雰囲気が、観客の間であったように思います。これには音楽的な問題もあるのかなと思いましたが…。

 

第二幕 第一場

 記憶が曖昧なのですが、イントロダクションはオペラ版第二幕イントロダクションの冒頭部だったかなと記憶しています。

 

 第二幕でも大活躍の農奴のPas de Triosは、チェレヴィツキCossack Danceでしたね。こちらもクランコ版の第一幕第一場で使われているものです。

ダイナミックでとてもよかったと記憶しています。

 

 オネーギンが黒鳥オディールさながらにオリガを誘惑する社交ダンスのシーンで、先ほど使われなかったオペラ版第二幕のイントロダクションのワルツが起用されていました。

スピードが遅く、オペラ版を見慣れている人間としては違和感もあったのですが、チャイコフスキーの思う、田舎社交界の空気が伝わってきます。

この楽曲はインストルメンタルで演奏されることも多い曲なのですが、普段はコーラス部分は再現するものの、独唱部は再現されません。

しかし、このアレンジでは大尉の「Полноте-с! Я сам очень счастлив!(どう致しまして!私の方こそ幸せです!)」なども器楽で再現されていて、面白いなと思いました。

 

 決闘への運びは、とてもスピーディに思えました。オペラ版やクランコ版と比較しても、オリガに謝罪のチャンスが与えられていないように感じました。

上記の通り、オペラ版でも感じることなのですが、オネーギンは第一幕に比較して第二幕、第三幕が短いので、第二幕以降は展開が急に感じてしまうことがあります。よって、もう少し引き延ばしてもよかったのかなとは感じました。

 又、レンスキーがびんたしなかったなぁと思ってしまいましたww

貴族社会に於いて、決闘や名誉、そしてびんたというのは特別な意味を持つ行為です。クランコ版ではこれでもかというくらいにオネーギンにびんたを浴びせるレンスキーなのですが、こちらではそれがなかったなぁと。

尤も、決闘については帝政ロシアの文化について触れる必要があるので、それはまたの機会に長々と執筆することに致しますが、なんであれ、決闘は死罪に当たる犯罪行為ですから、客間で決闘を申し込むなんてことは従来ではありえないんですがね。舞台上でのオネーギンでは見所の一ですよね。

 

第二幕 第二場

 すっごくどうでもいいんですけど、レンスキーのマントを脱ぐときのベルクロの音になんかちょっと萎えました。どうでもいいんですけど。

 

 レンスキーのヴァリエーション。

楽曲がまさかのNocturne op.19 no.4!!

先ほどのロマンスといい、クランコ版とは対照的な部分で同じ楽曲を持ってくるなぁと思いましたww

言わずと知れたチャイコフスキーの名曲ノクターンは、クランコ版では第一幕第一場のオネーギンのヴァリエーションで用いられています。

優雅な動きがペテルブルグ育ちの品の良さと、それでいて気怠げな旋律がオネーギンの内心をよく表していると思います。

そのオネーギンのテーマ曲としての印象が強いので、ここでこの曲を持ってくるか!と特に斬新に思いました。

折角オペラ版の曲を楽曲を使用しているのに、ここでオペラ:オネーギンの中で最も名高いレンスキーのアリアを持ってこなかったのはとても不思議です。勿体ないとすら思います。

クランコ版オネーギンを何十回と観て、解説も担当する私としては、どうしても印象がクランコ版に引っ張られてしまうので、そちらを見たことがなく、タチヤーナが初見だという人に、ここでの印象を伺ってみたいとつよく思いました。

 一つ物申したいのが、チェロ、頑張ってください。折角響きがよいホールなのに、伴奏のオーケストレーションに音が負けていて残念に思いました。

 

 男四人で一場凌ぎましたね。バレエでこれはあまりにもすごいと思います。

クランコ版ではラーリナ姉妹を出張させていますしね。

レーピンのイラストによる影響か、やはりオネーギンはインバネスコートだよなあと思ったり。

一つ疑問なのは、パンフレットにある「ギリオ」というのは、ムッシュー・ギヨーのことでしょうか? そこだけ原作と名前が違うので気になってしまいました。

 

 ザレーツキーが三つ手を叩くシーンは緊迫感があって良かったものの、観客のざわめきが少し勿体なかったかなぁとも思いつつ。伴奏は何かあってもよかったかもしれませんね。

又ひとつどうでもよいことを言いますが、ピストルの音が完全に拳銃で、ここばかりはどうにかならなかったものかと…!!

 

第三幕 第一場

 ポロネーズ!!!!!!!!! やはりオネーギンといえばこの曲ですよね。

オペラ版でも、フランスで上映する際などは必ずこのポロネーズに合わせてバレエが踊られますから、とてもすんなりとペテルブルグの舞踏会へと導入することが出来ていると思いました。

 

 オネーギンの回想シーン(心理描写?)のようなものがグレーミン公爵とタチヤーナのPDDの隙間に挟まれているのは斬新でよいなと思いました。如何にも物語バレエっぽい。

 

 舞踏会の招待客についてですが、面白かったですね。スペイン大使がいるというのは斬新でした。

時代考証的にはどうなのか?という疑問が出るかと思いますが、全然大丈夫、寧ろグレーミンのサロンが格式高いことを証明しています。

プーシキンの後継と言われる同時代の詩人レールモントフは、ペテルブルグの舞踏会でフランス大使バラントと口論になり、決闘に至っています。又、オネーギンの原作を著したプーシキンもフランス人との決闘で命を落としていますから、スペイン大使ではなくフランス大使であれば、なかなかに皮肉が効いていて面白かったかもしれません。

 問題はグルジア人の方で、確かにカフカス遠征に向かったロシアの軍人将校は現地でチェルケス服を纏っていたのですが、帝政ロシアとしては敵の民族衣装ですから、帝都ペテルブルグで着られていたか、というと難しいと思います。ともあれ、チェルケス服はかっこいいですよね。世界一かっこいい民族衣装にも選ばれていますしね。

 

第三幕 第二場

 第一幕第三場と同じくオネーギンのソロカット。上記共に、とてもよかったと思います。プロコフィエフの心も晴れたでしょうか。

 

第三幕 第三場

 フィナーレ。

楽曲はクランコ版でもお馴染みの、Francesca da Rimini

上記のクランコ版楽曲解説の記事にも書いたのですが、今一度フランチェスカ・ダ・リミニについて解説したいと思います。

フランチェスカ・ダ・リミニは、ダンテの新曲にあるストーリーの一で、同名の女性が主人公です。この曲はダンテの神曲を読んで深く感動したチャイコフスキーがその場の勢いで書き上げたとされています。

ストーリーとしては、フランチェスカはジョヴァンニという足が不自由で醜い領主のところへ嫁ぐことになるのですが、ジョヴァンニの弟:パオロとお互いに惹かれ合います。あるとき、フランチェスカとパオロが密会していると、それがジョヴァンニに見つかり、二人は殺されてしまう……というお話です。

 クランコ版でも同じシーンで同曲が用いられており、今回も、となるとどれだけこの曲とオネーギン終局のイメージが合致するのか、と思ってしまします。

パンフレットに目を通すと、選曲を担当された江藤勝己氏が最後まで悩んだというフランチェスカ・ダ・リミニ。

バレエ版に携われる方々は、オネーギン後日譚として、グレーミンに殺害されるオネーギンとタチヤーナを望んでいるのかとすら思ってしまいます。

 まず楽曲の使われ方についての感想を述べさせて頂くと、とても意外でした。

クランコ版の手紙のPDDでは、この曲の中で最も盛り上がるところに合わせて、タチヤーナが今の今まで拒絶していたオネーギンに抱きつきます。

一方で「タチヤーナ」では、曲で最も盛り下がるシーンでタチヤーナがオネーギンに駆け寄っていきました。

二人のすぐ先の未来を暗示していると取ることも可能ですが、ここはもっとドラマチックに行ってもよかったのかなぁとは思いました。

 又、ショールの演出はとてもよかったですね。オネーギンとの思い出の象徴の手紙。これは破り捨てられてしまう。しかし、グレーミンの象徴であるショールを手に取るのは、観ていてとてもわかりやすいと感じました。

 しかし、手紙は結局破くんだwwwとは思いましたね。舞台化オネーギンでは通らねばならぬ道らしい。

 

最後に

 なんだかあんまりバレエ自体に触れられなかったような気も致しますが、オネーギン限界オタクとして書いたので著者としてはまあよしとします。この記事の出来については読者各位に委ねます。

帰り際、我々の後ろには老婦人のグループがいらしたのですが、「綺麗だったわね。でも、ストーリーはよくわからなかったわ」と話合っているのが耳に入り、「私を呼んでくれ!!!!」とか出しゃばったことを思いつつ、やはり初見でオネーギンのストーリーは難しいのかしら、と思って悲しくなったりもしました。

 楽曲はすべてチャイコフスキーのアレンジということで、もっとチャイコフスキー勉強してくればよかったなぁ!とか、また観ることがあればもっと細かいところも楽しめるだろうになぁとか、色々思うところはあるのですが、この日本の地で、新たにオネーギンが原作のバレエが創作され、それを楽しめるというのはとても幸せなことだと感じましたし、これだけ多くの方が、オネーギンについて頭を巡らし、稽古に励み、この舞台を作ってくださったのだと思うと、ファンとして涙が出る思いです。これを機に、オネーギンに興味を持ってくださる人が一人でもいれば嬉しいなと思いますし、私でよければいつでも知恵を貸しますので、お気軽にお声がけくださいね。

 記事としては以上になります。すっかり長くなってしまいました。9000字超えてる……。ここまで目を通してくださってありがとうございます。

でもここで書かなくていつ何を書くんだって思ったものですから(オネーギン限界オタク並感)

では、「タチヤーナ」の再演を願って。