『 おはようございます、茅野です。
今頃はパリ・オペラ座で『オネーギン』をやってるわけですよ。当たり前のように広告動画とかひとさまのレビューをガン見してるんですけど、パリオペのオネーギン(勝手に命名)は隠遁主義のロシアのバイロンではなく、ちょっとナルシシズム増し増し感ありますね。まあ……パリだしなあ……(?)。
フランス語学科であることを口実に弾丸オネーギン旅出来るのでは!?って思ったんですが忙し過ぎて普通にダメでしたね、はい。あぁ〜でも観たいなあ〜〜〜あぁ〜〜……。
はい、そんなわけで今回は東京大学歌劇団さんの『エフゲニー・オネーギン』を見てきました。東京でオネーギンやるとか見るのが義務みたいなもんですよね。
これが、めちゃくちゃよかったんですよ。いや、これから語るんですけれどもね。
同年代の人たちが舞台で演技を始めると、演劇部時代を思い出して懐かしくなったり……(中高演劇部だった民)。特に何度も触れられていたように、オネーギン初演は学生によるものだったのもあって、「なるほどそう考えると学生の演じるオネーギンって最高かもしれん……!」と思ったりとか。やっぱり舞台っていいですよね。
東京大学歌劇団さんとの出逢いは驚くべきものでした。それは去る夏、Twitterにきた通知から始まったのです。
!?
残念なことに当方は東大生ではないし、何の接点もなく唐突だったものですから、「誤フォローかな?」と思ったわけですよ。そうしたら……。
「あっ……(察し)」。
どうやらこのわたくし、『オネーギン』オタクを拗らせすぎて公式アカウントに捕捉される存在となったらしい。わたしが一番驚いております。……ということがあり、そこから『オネーギン』公演があることを知って、関係者様に声掛けて頂いたり(!)があって、今に至るという次第です。わたしが一番驚いているんですよ(2回目)。
確認してみたらこれが8月中葉だったんですけれども、もうそこから心待ちにしてたので、いやー、長かったような短かったような。その集大成がこれとあっては、もう結婚式の父親みたいな心持ちでした。死んだラーリンさんかオネーギンの叔父あたりっていう設定にしといてください(?)。
というわけで、この公演についてのレビューになります。宜しくお願いします!
総評
これが、よかったんですよ。(語彙力ゼロ)
悲しいかなオネーギンはオペラの中でもマイナーな作品で(※「オペラが好きです」というひとでも「全く知らない」「名前を聞いたことあるような……」などと言われること多々)、しかもオペラの王道イタリア語や楽劇王のドイツ語ではなく難解なロシア語。
当方は歌劇オネーギンが大好きなので貶すわけではないんですけど、大好きだからこそ上演頻度や難易度はちゃんと心得ているので、最初は「いやまさか学生団体にオネーギンなんかが取り上げられるわけが……」って思っていたんですけど、危なげなくこなしてきた! プロンプターもいないのにようやるわぁ…まじかぁ…と思って見てました。
当方はオペラはそこそこ観に行くんですけれど、アマチュアのものを観るのは完全に初めてだったので、正直どれくらい期待して行ったらいいのか全然わからなくて、幕が開くまで期待半分不安半分だったのは事実です。
温存していたのもあったのでしょうが、一幕<二幕<三幕とどんどん盛り上がっていって、ラストのデュエットなんかもう「まったくどうしたもんかなこれ……」と思ってました。
当ブログ名「世界観警察」からも分かるとおり、当方は原作至上主義の考察勢と、面倒くさいオタク筆頭格なので、「気になる点があればさすがに突っ込むぞ」という心意気だったんですが、その点に関しては全くもってストレスフリーでした。
↑逆に色々突っ込んでしまったときの例
途中から「これ制作陣に絶対オタク(同志)いる……」と確信していました。
パンフレットの解説もかなり踏み込んでいて最高でしたね。過去のオネーギンの公演のパンフレットに間違った情報が載っていて指摘したところ謝罪メールを飛ばされたとかいうイキりオタクみたいなエピソードもある当方なのですが、普通に楽しんで読んでました、愛が籠もっていた。予算の問題等もあったでしょうに、主役級の衣装の時代考証から、慣例的なマイムまで完璧。
なにかを「創造する」以上、「○○に似てる」ということばが「つまらない」「全然ダメ」よりも悪口になり得ることを私は知っています。しかし、敢えて言います。演出やマイムには他で観たなぁと思うものが多々ありました。たとえば、2幕2場の決闘シーンでオネーギンとレンスキーが手前/奥で重なるのはメトロポリタン歌劇場(2007)の演出と同じだし、3幕1場のポロネーズは明らかにボリショイ劇場(2000)と重なります。だが、それがいい。というのも、言うなれば、この東京大学歌劇団さんのオネーギン、「過去の公演のいいとこ取り」なのです。過去幾度も上演されてきた名オネーギンの舞台の、一幕、一場、一曲の中の、評判のよかった部分の演出、マイムを組み合わせていく。言うなればこれが『オネーギン』の演出の完成形。「ここは○○劇場○○年の演出を参考にしたのかな!?」と考えながら観ていて、観ながら過去の公演を思い出して頭を捻り、確信したらニヤニヤが止まらなくなり……と忙しかったです。
客席の皆様、申し訳ないですけど、今晩はわたくしが一番楽しませてもらいましたからね!!!!!
では細かく観ていきます。
※注意※
あくまで浅学な一個人の感想です。うろ覚えな点もあります。
第一幕
第一場
幕が開いて、イントロダクションからガッツリ演技が入ります。
オネーギンではイントロダクションや舞台転換中に演技を入れるのは割と鉄板です。クランコ版だと必ずやります。
↑クランコ版の舞台転換(画像は1幕1場~2場)。ここでオネーギンはラーリナ夫人には手の甲にキスし、レンスキーとは親しげに肩を組むのに対しタチヤーナとは気まずく、よそよそしく会釈のみで立ち去るのが関係性を端的に表していて大好き。
但し「どこの場面を演ずるか」というのは演出によって全然違います。今回の演出は「悲劇性」にスポットを当てていたので、下降するストリングスの旋律と共に3幕1場~2場のオネーギンの姿はもの悲しいラストを予見させます。
チューニングの時からちょっと危うかった木管、がんばれ~!(応援)
一幕一場、ラーリン邸。簡素なベンチとテーブルセット。
珍しい女声のみの四重唱。
ここのみならず、四重唱はめちゃくちゃ安定していましたね。滑り出し好調で期待度爆上がりです。
主役級は温存していたのわかるんですが、それにしてもフィリピエヴナばあやは何者ですか。安定感が段違いでプロが紛れ込んでいるのかと……演技もめちゃくちゃ自然だった……
タチヤーナは、少しタチヤーナには声が軽いかな?と思ったのですが、高音の伸びが素晴らしい。(ずっと言ってる。)
オリガは低音が強く二重唱、四重唱とも安定していたしラーリナ夫人はお母さんという感じこそなかったけれども滅茶苦茶可愛かった……。
レンスキーはもう少し声量が欲しいものの甘いレッジェーロの声は優しい詩人そのもの。
オネーギンは一幕時点では声を温存しすぎではないかと思いましたが、高音になると声に艶が乗るのがとても素敵。
農民の踊りはもう少しバレエ要素をそぎ落としてもよかったのかなと思います。オネーギンは洗練された貴族社会とガッツリ民族色のある田舎の対比も見せ所なので……。
字幕は数カ所気になるところがありましたね。余談ですが、昨年のフェドセーエフ指揮の演奏会形式オネーギンにも勿論足を運んでいたんですけれど、その時はよかったんです。只、NHKでの放送を見たとき、字幕が書き換わっていてとんでもない訳になっていた! いや、「夢見る夢子さん」ってなんだよ……(タチヤーナのことらしいです。) つい先日それを観ていたので字幕は寛容な気持ちで観ていました。というかいい加減オネーギンの歌詞は覚えた……。
衣装は時代考証完璧です。本当にありがとうございました。パンフレットにもありましたが、レーピンやティモシェンコを見て研究したのがわかります、すごいわかります。タチヤーナ、オリガのドレスのデザインは完璧にティモシェンコリスペクトだったし、レンスキーが暖色や白、オネーギンが黒い衣装なのは慣例ですしそうしたくなる気持ちめちゃくちゃわかる。
演技面。農民たちの踊りにオリガに引かれて恥ずかしがったり戸惑ったりしながら追従するタチヤーナ。タチヤーナと会話しながら足を組んで座って我が物顔のオネーギン。めちゃくちゃ解釈が一致しました。わかる。わかるしか言えない。
タチヤーナの本の題を見て「フッ(笑)」ってなるのはお約束。ちなみに当方はあの本はルソーの新エロイーズとかじゃないかなと思っています。
第二場
タチヤーナ最大の見せ場:手紙の場を擁す第二場。
「わかるでしょ、私恋をしているの」でガバッと起き上がるタチヤーナに深いわかりを得た(私が演出家でもそう指導するの意)。
約14分もあるアリアを危なげなく歌い上げる。本当に高音が綺麗。Bravo.
初恋に動転して徹夜で思いの丈を書き付ける乙女を好演。「違う!」と紙を丸めて投げ捨てる姿。筆記具を地面に持ってきて土下座に近い姿勢で勢いよく筆を走らせる姿。書き終えて安心したのか大の字に寝転び呼吸のみに身を任す姿。見たか貴君ら~~これがタチヤーナだ!というかんじでした。
上手前に大きな窓があるのはマリインスキーに近いような。あの演出個人的にめちゃくちゃ好きなんですよね……。熱狂の夜を越え、優しく差し込む朝日。
一つだけ言うと、牧童の笛がめちゃくちゃ危なかったのでファイトです……!
第三場
娘達の秘密の歌。
歌詞にはたしかにそうあるのですが、本当に若者を引き入れる演出は流石に初めて見たのでかなり驚きました。
この"秘密の歌"が何を意味するのか、というのは結構物議を醸していて、自由恋愛を謳う身分の低い娘達がタチヤーナの対比なんだとか、いやいや実は淫猥な意味があるんだとか、色々論じられていたりいなかったり。
オネーギンのアリア。あの3幕を見終えた今だからこそ言いますが、もうちょっと出してもよかったのでは~……! でもやっぱりバリトンのアリアっていいですよねえ。歌詞あんなだけど。
ここだけではなく全体的に、オネーギンは、ちゃんと"オネーギン"だったので本当によかったです。「何を当たり前なことを、馬鹿にしてんのか」って言われそうなんですが、全然そんなことはなくて、「オネーギンを演じる」っていうのはめちゃくちゃ難しいことなんです。
パンフレット6ページにもあるように、オネーギンという男はめちゃくちゃ感情移入がしづらい。原作を読み込んだりちゃんと調べて当時の価値観をしっかりと理解すると心理を理解できるようになってくるのですが、現代の価値観からするとただのクズと言われても仕方が無い。当記事冒頭にも少し書きましたが、オネーギンの頽廃的で華美な部分に入れ込みすぎるとオネーギンはなくナルキッソスになってしまう。逆に隠遁主義なところばかりに目を向けていると只の陰キャラに。三幕なんか一歩間違えればセクハラ野郎です。
オネーギンを演じるには、都会的な優美さを備えながらも伏した目には何やら過去がありそうな陰鬱な雰囲気を湛え、少年のように恋をして肺病みのように窶れたってそれは奥深くに根ざしていないとエフゲニー・オネーギンという男たらないのです。
これは両方バレエですが、ユーゴ・マルシャン氏(パリ・オペラ座)はインタビューで「オネーギンは演じる人によって全然違う人間に見えてしまう」と答えています。これは実にその通りで、初見でだれが演じたオネーギンを見るか、というのは非常に重要な問題だと思います。又、ウラディスラフ・ラントラートフ氏(ボリショイ)はボリショイ劇場に於けるオネーギン初演で「ロシア人を前にオネーギンをやるのはとても緊張する。ロシアの魂を持つオネーギンを演じることはとても難しい」と答えていて、本国ロシアの意見ということも鑑みるととても参考になります。
で、今回なんですけど、めっちゃオネーギンだったと思うんですよ。プロ相手でもすぐ「これはオネーギンじゃない」とか文句を垂れるオネーギン原理主義過激派なので私が一番びっくりなんですけれども。今回のオネーギンを見られなかった方、ちょっと勿体なさ過ぎやしませんか? ドンマイです(憐れみ)。
さて、手紙なのですが、ここも演出が大きく分かれる点。3幕ラストでは死ぬほど動揺したのですが、ここはその伏線として、茫然自失のタチヤーナの手に恋文を握らせるオネーギン。タチヤーナの茫然自失っぷりがあまりにも絶望を感じてとてもよかった。
最後、娘達の歌が繰り返されるのですが、スピーカーを使ったせいかかなり大きくてオケの音が消し飛ぶ勢いだったのでここも少し調整を入れるとよりよいかと……!
第二幕
第一場
幕を開ける第二幕:タチヤーナの名の日の祝い。
中隊長(大尉)はもう少し低く重い方がハマったかもしれませんね。
オネーギンのタキシードめっちゃお洒落じゃないですか? ペテルブルグの男だ……。タチヤーナの赤い豪奢なドレスも可愛い。3幕の大人っぽいものではなく、可愛らしい感じ。そしてタチヤーナは"赤"なのもめちゃくちゃわかります。タチヤーナは赤。(主に「あの赤いベレー帽の女性」の影響だと考えられます。)
コーラスは女声よりも男声が強め。低音がしっかりしてるのはいいことなんですが、もうちょっと調整してもよかったやもしれません。
ちょこっとネタバレで聞いてたレンスキーの妄想シーンですが、「卑俗な恋歌を優しく囁き、片手をぎゅっと握りしめた(池田健太郎訳)」オネーギンさんですから、あれくらいのことはやっていたかもしれません。全然解釈一致。
ムッシュー・トリケは一人だけ「17世紀フランスから迷い込んできました!!!」というオーラをぷんぷん発してて最高でした。それでこそムッシュー・トリケだ! オネーギンはトリケとグレーミンが最高って相場が決まってるんだ、私は知っているぞ。
そして彼がクプレを歌っている間、下手前の椅子にはオネーギンとオリガが。これを予見してやや下手側の席を確保した当方、流石にオネーギンプロみを感じる。(自画自賛)
クランコ版(バレエ)では2幕1場はオネーギンは下手前のカードゲーム台で延々とカードゲームやってるんですよね。オペラは演出によるのでなんとも言えないのですが、慣例的にはやはり下手前です。だからオネーギンを観るとなったとき、私はやや中央、或いはやや後方の下手側を推奨しているのです。とかここで言ったら次の公演では席がなくなりそう。
ただ、クランコ版との大きな違いは、オリガと一緒にいることですね。クランコ版では、オネーギンがつまらなそうに暇をつぶしている間、オリガは流石に謝罪の意もあるのかレンスキーといちゃついています。どちらが解釈として正しいかは断定しかねますが、この演出いいな~~!!!と思って一人で唸ってました。
「チャイルド・ハロルドのように突っ立っている」レンスキーが本当に上手前で棒立ちなのめっちゃ笑いました。指摘通り過ぎる。
決闘の話になると、やっぱり手袋は投げるし取っ組み合いもするお二人。
オネーギンが手袋を拾う前にレンスキーが下手に退場してしまったので、「あれっもう帰っちゃうんかーい」と思ったらコートを羽織って再登場。なんだその細かい演出は~??好きです(好きです)。ほんと演出好きすぎて語彙力なくなるんですよね、相当研究されたとお見受けします。惚れ惚れします。
「黙れ!死にたくなければ!」
第二場
みんな大好き決闘だよ~~!!
聞かせどころのチェロ、もうちょとブレがないとよかったのだが……!オケは各パート優秀な人がいるのがよくわかったのですが、もう少し揃えられるとよりよいと思うのです、ただ親がチェロ弾きでチェロの難しさは痛いほどわかってるので切実に応援します。
「小川のほとり、生い茂った松の木陰の、粗末な墓碑(池田健太郎訳)」……。いや完璧か??(困惑) オネーギンは3年間ずっと観てる訳なんですけど、このオネーギン、今まで観てきた中で一番原作厨に優しいかもしれん。
ザレーツキーの声量に圧倒されるの巻。つよかった。これは決闘マニアの軍人だ間違いない。あとコートの袖めっちゃ可愛いっすね。ロシアみ感じました。
聞かせどころ:レンスキーのアリア~! やっぱりレンスキーはこれくらい軽い方が悲劇の詩人みがあってよいと思います。たまにいくら歌の技術があれどハマり役ではなくて、オネーギンを撲殺しそうなレンスキーいますからね。ドミ○ゴ氏とか……
どこへ去って行ったのか我が黄金の青春の日々よ……! これは泣けるレンスキーだった。
オネーギンとレンスキーの二重唱も「THE悲劇」という感じで凄く好きです。ハモりめっちゃ綺麗だった……。手を血に染めずに友人として別れることはできないのか? Нет! Нет, Нет, Нет......
二重唱の前に介添人の二人がスッと上手奥に消えて、舞台が二人だけの世界になったのも凄くよかったです。レンスキーのアリアのときもそうなんですけど。なんか演出べた褒めすぎなんですけど、あの、めっちゃよかったんです……。
後ろで決闘の準備を進める介添人二人。ピストルを用意しているんですけど、どうせなら玉入れたりしてほしかった~……! 演出が素晴らしいだけにすっごいどうでもいいことに気を揉む面倒くさいオタク茅野。いや、全然いいんですよほんとに。
いざ決闘。舞台中央に手前/奥と重なりあって撃ち合う演出は結構レアです。やっぱり左右になりがちなので……。
私が想起したのはメトロポリタン歌劇場(2007)の演出なんですけど、これとはまたオネーギンとレンスキーの立ち位置が逆なんですよね。
↑MET(2007)の決闘シーン。オネーギンがホロストフスキー氏、レンスキーがヴァルガス氏。やっぱりオネーギンはディーマ(ホロストフスキー)が至高だったので訃報で喪状態のオネーギン限界オタクなのであった……
撃たれ介添人に運ばれていくレンスキーに、慌てて二人を止めてレンスキーを目視して黒革手袋をかなぐり捨てるオネーギン、エモーショナルすぎませんか?!? 語彙力吹き飛んで二幕から三幕の休憩時間呆然だったんですけど……オネーギンが「悪役」ではない所以はここにある。
第三幕
第一場
二幕二場のお葬式ムードを吹き飛ばすペテルブルグの社交界の華やかな雰囲気、そしてオネーギンの中でも屈指の人気を誇る名曲ポロネーズ。
一瞬でボリショイ劇場(2000)の演出をベースに敷いているとわかったので終始ニヤニヤしていました。衣装の時点で「おっ!」と思っていたのですが、お辞儀のタイミングが丸っきり同じだったので確信しました。でもわかります、わたしもポロネーズはこの演出が一番好きですから……。冒頭にも書いたように、本当に「おいしいとこ取り」なオネーギンですよこれはほんとうに。
↑ボリショイ(2000)のポロネーズ。白いドレスに身を包んだ女性たちにタキシードと軍服の男性たち。これが"帝都"……!
オネーギンの独白の後、とびきり華やかなインストルメンタルがあるのですが、ここがまさかのレンスキーの回想(というよりオネーギンの妄執)に当てられていたのは結構意外でした。
このシーン、オネーギンが一人物思いに沈んでいる演出は常ですが、曲があまりに華やかなので群舞が花開くことが多いんですよね。でもこれくらいやらないとオネーギンの心情が伝わらん!というのはご尤も。
オネーギンのコートと帽子を黒ドレスの女性が回収していくの、時代考証ばっちりすぎて笑いました。これノイマイヤー版椿姫で観た……(感動)
タチヤーナ「夫の隣にいるお方は誰?」
モブ「変人のオネーギンですよ!」
タチヤーナ「エヴゲーニー!」←この時の声の震えに100点満点中5000兆点をつけたい
そしてグレーミンのアリア。めっちゃ良いバス。ここまで響けば文句ないでしょう! Bravo. 軍服かっこよい。
あと、字幕が一時「侯爵」になってたのを見逃してませんよ私は。正しくは「公爵」です。日本語だと読みが同じだからね、仕方ないね。
そしてオネーギンのアリオーソ。私オネーギンのアリオーソめちゃくちゃ好きなんですよね。タチヤーナのアリアと同旋律なのは言わずもがな、アリオーソということで要は「サビ持ってきました」状態なわけですよ。おいしい。
このあたりから温存していた声がガッツリ開花して文句なしのタイトルロールに。文句ないです。 ああ間違いない、恋をしているのだ 少年のように!
第二場
いよいよクライマックスです。この三幕二場がは~~んぱじゃなかったんですよ。ほ~~んとに。
主役二人がクライマックスに全力投球。歌も演技も文句の付け所なくないですか? こんなの粗探し魔だって泣きますよ。賛美のボキャブラリーがもっと欲しい……。
まずタチヤーナ。衣装替えが本当に徹底しているから凄い。終幕は人妻感も感じる落ち着いた色彩のドレス。可愛い。一瞬見える「駘蕩たる夜会の女王」の中に秘めたる乙女の心……。ロシア正教徒として、よき妻であろうとする健気な姿、しかしタチヤーナというのは実に情熱的な女性で、昔抱いた愛を4年も温めてきた。ここでのタチヤーナはこの葛藤に必死なわけです。
オネーギンの方は原作で「痩せ衰え、肺病やみと見まごうほどの姿になった(池田健太郎訳)」とあるんですけど、これを実践している"オネーギン"は正直全然いないです。
従来では「ゆーても青年貴族だもんねー」という空気がどうにも抜けないからオネーギンに感情移入するのを更に妨げているのかなぁと感じました。今回、歴代で最も肺病やみに近いオネーギンでした、確信しました。
といことはどういうことかというと、それだけ必死ってことなんですよ、この恋に。前の方で触れましたが、だからこそ彼が「ちゃんとオネーギンになっている」ってことなんですよね、なんだかんだ青年貴族としての体面を棄てられないんじゃなくて、かといって気が狂ったわけでもなくて、ただただ「少年のように恋をした」。
というような役作りも凄いんですが、メインの歌の方も勿論凄い。
Twitterの方では批判覚悟で「スペクタクルとしては史上最高」という書き方をしたんですけど、これはどういうことかというと、オネーギンもタチヤーナも結構声を温存している感じは正直あって。ただ、それがこのクライマックスで開花、爆発したわけですよ。このキャラクター二人の心情も爆発してる時に。
声を温存しているのは謂わば大人の事情かもしれませんが、それが逆に上手いこと働いたんですね。
タチヤーナ「私は誓いを忘れるわけにはまいりません!(必死)」
オネーギン「だめだ! あなたは永遠に僕のものだ!(超必死)」
めちゃめちゃ熱が籠もってるわけですよここに。 圧 倒 。
素直に「ひぇ~~……」ってなってました。呆然。こんなんみんな感動するでしょ……。すいませんねブログ書きなのに語彙力なくて。
ラスト一分あたりの一番盛り上がるところとか「これほんともうどうしてくれようか」って感じで、わかりますか、皆さん、これが舞台に没入するということで、これが音楽に酔うということなのですよ。
タチヤーナの「ああ、血の凍るような思いがします」というところで本当に頭を振って声を震わせたりとか、もう熱演ですよ、わかりますかこれがタチヤーナなんですよ。
オネーギンの方も何度も振り解かれて転びながらそれでもタチヤーナに縋り付くわけです。全観客が泣いた。
そしてラストのラストで手紙の演出もね!素敵だったんです!
タチヤーナがぁ!手紙をぉ!破っっ……らなーい!!オネーギンのぉ!手の中にぃ!収めるぅ!退散!!!
リアルに実況しそうになった(真顔)
オネーギンに於ける手紙の扱いの演技分析はなかなか興味深いものがあります。ビリッビリに引き裂くオネーギン/タチヤーナもいれば、思いは棄てても手紙だけは肌身離さないというオネーギン/タチヤーナもいますし、こうやって相手に押しつけるオネーギン/タチヤーナもいます。
今回は、ほんとうに破るギリッギリのところで思いとどまってオネーギンの拳中に収めるのがほんとうに、タチヤーナの心情が現れ出てて「あぁ~~~~(語彙力ゼロ)(脳溶け)(退化)(ネアンダルタール人)」としか言えなくてですね……。だめですよああいうの!!!(最高です)
「おお、なんと浅ましき我が身!」とは、最初はなんて古風な……と思っていたのですが、最後にキメてきましたね。 Bravo!
最後に
「私があなたに手紙を書くーこれ以上何が要りましょう。これ以上何を申し上げることがありましょう。」とは、有名なタチヤーナからオネーギンへの手紙の慎ましい書き出しです。貴族の乙女が男性が手紙を出すというだけで恋文だということがはっきりしていた時代。
して、この記事は一体なんだね。1つの公演のレビューに1万字も書いたらしいんですよ、これが。しかもタチヤーナよろしく徹夜で。通読お疲れ様で御座いました。貴重なお時間を長いこと頂いちゃってすみませんね本当に。文才がないもので語彙力はないくせにだらだら書くことしか出来なくて。というか言いたいことめちゃくちゃ有って。
最後に、本当にありがとうございました。こんな大人数が、こんなに長い時間を掛けて、大スペクタクルを創ってくださって、それを劇場で共有することが出来てほんとオネーギン限界オタク冥利に尽きます。
また観たいなぁ~~~なんて!!
では、オネーギン再演を願って。